内申書。

ここ見て思い出した。
せめてお見舞いに行きたい!!と思って先生にそのことを言ったのですが、
先生はすごく冷たくて
「あんな不良とかかわるな。内申書に響くぞ。それにどうせ面会謝絶だし。」
というようなことを言いはなちました。
 


そうなんだよなー
一番、内申書っていうのを意識したのは高校受験の時だったなぁそういえば。
が、意識の仕方ってのは、別に内申書に怯えたということじゃなくて。
なぜだかよく分からないけど、
ひょっとして、地域、年代の問題かもしれないけど、
僕の受験の時は、『内申書なんて殆ど意味がない』というのが定説になってたんですね。

仮に、内申書が高校進学において大きなウェイトを占めてたとしたら、
まぁ多くの人は、それほどエキセントリックなことはしませんわな。
ないしは、逆に、十代の反抗心の表れとして、余計にエキセントリックになるとか。

でも、僕のところでは、例え内申書がマイナスでも、
それが試験に与える影響は少ないってことになってたし、
(あ、中高一貫ではないですよ。普通の公立高校受験です)
なんか、その辺適当に、構えてたな。
教師も、あからさまにそれを言うようなことはなかったし、
生徒の方も、教師に反論しやすかったし。

高校にしてみれば、自分たちで判断できることなんて限られてるんだから、
中学の教師の意見も重視したいというのは分かる気がするんだけど、
あんまりね。それに権威を持たせるのはどうなんだろうかとね。

もちろん、入試の苛烈さが和らぐメリットはあるだろうけど、
自由な発想や活動が出来る時期に、
そんな大人の事情っぽいことで枷はめちゃうのもなんだかね、と。
生徒への公開も多分今でも認められてない(と思う)しね。


あっても良いけど、
ひけらかすことじゃないと思うなぁ。
生徒のことを考えれば。

んー幸せだったのかも。