僕のエントリ(先にトラックバックを送ったエントリ)は、
余計なものを詰め込んだせいで、非常に誘導的なエントリになってしまっています。
よって、その部分を指摘されるだろうな、と言うことは予想できたのですが、
(つまり僕の断定が強引であるから、その内容も間違っている、ということ)
やはり、返答に納得できない部分もありますので、
トラックバックという形でさらに返答を書きたいと思います。
あー、批判ではないので。念のため。
むしろ、誤解されたくないなぁ、というようなことです。
まぁ普通そうですね。
いただいた返答エントリは以下。
エントリ内の後半部分ですね。
もう1つのトラックバックであるこれについては…
1つの記事をどう捉えるかでここまで違いが出てくるのかな、と思いました。
この書き出しで、やはり危惧が現実になっているな、と。
いや、ひとえに僕の文章力の問題です。すみません。
余計なこと(表現)を書かずに、
返答の1つ1つに率直に僕の見方をぶつけようと思います。
「『フジは良いけどTBSはダメだ』なんていう言い回し、ないしは示唆は出てきてないわけです。」これはですね、その解釈が純TV的ということなのです。
とありましたが、「フジのスタッフは、自局の中継でない国際大会やVリーグにも熱心に足を運び、選手の信頼も得ている。」
という一文からは、TBSよりフジのほうがいいという捉え方ができると考えてもおかしくはないでしょう。
例えばですね…フジがTBSより優秀(ないしは逆)だったとしましょう。
でも、そのことは、コラムの主題…
『スポーツとして重要な部分が、軽視されたのではないか?』
『その原因はバレー界の線引きが甘かったからではないか?』
という主題とは、さして関係のないことなのです。
仮に、今回の選手権がフジで、次回放送がTBSであれば、文脈は恐らく逆になったでしょう。
筆者の中に、特定の放送局に対する思いがあったかどうかは分かりませんが、
書いていることは、『今回TBSが関わって良くなかった、
フジが関わったらどうなるだろう、フジはこんな番組を作っていたが』
というだけのことではないかと。
僕がこの文脈をフジ擁護と見ないのは、
言葉の裏に、次回もダメだったら、もちろんフジも非難するという姿勢が読み取れるからです。
「アイドルが歌うことだってそう。ん、僕の誤読ですね。すみません。
それ自体を批判してるわけでは全然無い。」
違うでしょう?「特別ルールの1つ」と書いている以上は、そこに批判の意図があったと解釈するのが自然であると判断できませんか?
特別ルールは必要なのか?と言う論調ですね。おっしゃるとおりです。
ただ、僕の言いたかったことがぶれているわけではないですね。
僕がこの点を指摘しようとしたことは、つまり結論として、
特別ルールを肯定(あるいは否定)することと、
竹下の問題は直結していないということかと。
これは、反論エントリに関する批評ととってもらっても良いかなぁ。
つまりですね…まず、MVPへのバレー協会の対応が良くない、という結論が先にある。
その上で、それってもしかして特別ルール何ではないの?という表現に繋がる。
コラムの言いたいことは、表現の先の特別ルールの批判…ではなくて、
(それは既に諦めた上で)結論の、それがスポーツとして公正なのか?という点なのではないかと。
僕が違和感を感じ、噛み合っていないと表現したのは、つまりそこで、
反論エントリとして掲げた中で、特別ルールの是非を論証するのは、
コラムの本筋とずれているのではないですか?と言うことなのです。
仮に、特別ルールが、十分に正しいことだとしても、
そのことはMVPの問題の正しさには繋がってこないからです。
それでは反論と言えないのでは…
話題として影響を受けたエントリというのであれば、
十二分に興味深いエントリだったのですが。
「要は、MVPが第6位の日本の選手なんておかしいんじゃないか?ということだ。」これは僕も書いています。
これは前述。別の投稿にも書きました。おかしいと捉えることには異論はないですが、それはテレビの演出との関連は低いと考えています。
それは誰も言っていないし、書いていない(示唆はしてるが)。
で、前段のコメントと同じようなことなのですが、
仮にテレビの演出でなかったとしても、
それではなぜ、バレー協会はこんな公正でない判断を下すのか?
という出発点の疑問が残るだけです。
元エントリ内でも指摘しましたが、コラムの結論は、放送局に向けてのものではないのです。
筆者の考えを元に、理由を示唆してはいますが、
(元エントリでは、少しこの示唆を強調しすぎました。適切ではなかったと思っています)
その管理はできるはずだ、という、協会に向けたものです。
僕自身は、MVPの是非に関する論議に全くコミットしていないので、
一般的にどのような論調で書かれているかは分かりませんが、
納得できる理由を提示できなかったのだな、ということはわかります。
そこを批判されているのではないですか?
「恐らく、僕は、スポーツという文化的な視点で、僕が言っていることが伝わっていないようで残念です。
このコラムを見ることが出来るけれども、
反論エントリの方は、純TV的視点でしか、
スポーツを見られないのだろう。」
「メディア」にジャンル分けされていた文章に対しては、同じ視点で観ていくのが原則だと思うし、それに則っての文章に対して「文化的な視点」を持ち出すことはある意味反則だと思うんですがね…まぁ、私のことを「純TV的視点でしか、スポーツを見られない」と思うのなら、それでもかまいませんが。
純TV的視点というのは、批判ではないのです。
ここまで書いてきた、お互いの論理の差異から分かるとおり、
僕は、バレーというスポーツを統轄している団体の行動を多く視野に、
hira309さんは、主に放送局の行動を多く視野に入れて、
書かれているわけです。
コラムを解きほぐしていくと、
例え、放送局という文字が出てこなくても、
本筋に影響はないのではないか、と言うのが僕の考えであり、印象なのです。
もし、純TV的という表現を、不快に思われたのであれば、謝罪します。
しかしそれは同様に、僕は、放送局を過小に見ている、
hira309さんは、スポーツとしてどうなのか?という、
コラムの始めのセリフに対する視点が、少し少ないのではないか、
そういうことの指摘にはなっているのではないでしょうか。
つまり、差異。
「メディア」にジャンル分けされていた文章に対しては、同じ視点で観ていくのが原則だと思うし、それに則っての文章に対して「文化的な視点」を持ち出すことはある意味反則だと思うんですがね…と書かれていますが、それは違うでしょう。
なぜなら、僕は、メディアにジャンルわけしていませんから。
僕のエントリのタグを見てもらえばわかりますが、
僕のジャンルわけはスポーツです。
スポーツは文化的なものであり、
それに対して僕が文化的な視点で見ることは反則ではないでしょう。
これについて、何が問題かと言えば、
僕自身が(そしてhira309さんも)お互いの立場の違いを、理解できていないことでしょう。
最初に『殴った』のが僕であることを考えれば、
僕がそこを理解しておくべきでした。
文化的な視点ではない、のだということを。
僕は、前提でも解るとおり、
このコラムの問題提示は、スポーツとは如何にあるべきか、
現代の興業の中で如何にスポーツの本質を守るか、
という文化的な問題だと捉えています。
その中で、放送局は、1つのキーでしか無く、
問題の本筋ではありません。
ですから、反則でも何でもなく、始めから違うルールであっただけです。
そこは、言及すべきではありませんでした。
ただし、そういう視点も持って欲しかった、
と言う一番最後の言葉は、様々なスポーツに触れたことを通しての、
率直な感想でもあります。
少し、理想主義的ではありますけどね。
(でも、反論エントリを読んだだけですからね…
私の何を知ってるんですかあなた、と言うのはありますな)
最後になりましたが、返信いただいてありがとうございました。
自分でも、文章の拙い点を自覚していたので、
それを指摘していただけたことは、幸いでした。
書いていて気付いたことは、他でも書きましたが、
コラムの本筋以外そっちのけで、僕の意見で書けば良かったと。
下手に擁護したのが、話をわかりにくくしたと思います。
…ってそれだったら、反論に対する反論にならないか。
んー。