水曜どうでしょうD陣日記アーカイブ。
当然、著作権法的にやばいので、
警告が来たら、もしくは告訴されたら、
速やかに撤収するつもりで居るんですけど、来ないですね。
(一応、『させてもらえませんか?』という打診はしたんですけど、
まぁ、おおっぴらに『OK!』と言うはずもないしね)
ただ自分が見返せればいいので、
これを使って人集めて儲けようとは思ってないし、
それ以前に、たくさんアクセスがあってもらっても困るなぁ、と思ってるんだけど、
ちらっとログ見てたら、どうやらmixiのコミュにURL書いた人がいたらしくて、
アクセス数が倍くらいになってます(苦笑)
いやぁ…まぁ別に良いんですけどね。
デザインに凝るとか、機能が増えるとかはないですよー
それだけ、いっときたい、ってことで。
その辺の、『集客努力をしない』ってとこが、まぁなんだ、
僕なりの罪悪感の消化なので。
で。
昨日の日記は藤やんだったんですけどね、
これが面白かったね。
TV番組を作るときのプレッシャーに関してなんだけど、
どうも目的、プレッシャー共に、
『本質的なこと』から逸れていってしまうことが多いと。
『こうしたい』から、『じゃあ、こうしよう』が生まれてきてるはずなのに、
『こうしよう』の方が義務になって、『こうしたい』が二の次になることがある。
どうでしょうは、純粋に、『こうしたい』だけあればいいから…
「あぁ?あんた、なに言ってんの?おもしろくなってたに決まってんじゃないの。おもしろくなかったら、放送しないだけだもん」という考え方になるんだよなぁ、と。
書いてて思ったけど、
たまに料理する人間の料理と、
毎日料理してる人間の料理の違い、みたいなのかもね。
例えば、今日はチキンカレーだとか言ってスーパーに行くんだけど、鶏肉がない。
素人の方は、チキンを探して他の店に行ってみたり、
料理そのものを変えてみたり、
それで結局全部食材を新しく買い込んだりする。
一方、主婦の方は、じゃあまぁ、豚肉で良いよね、とか、
家にあるのはタマネギだから、じゃあこの豚肉で豚ショウガ焼きで良いよね、とか、
結果的に、経済的で美味いものを作る『軸』で考えて、行動する。
軸がぶれないから、柔軟に行動できるんだろうね。
何を軸に据えるか、
それって本当に大事なのか、ってのを考えないと、
やっぱり、ただの意固地に収束しかねないけれども、
でもそういう、シンプルな考え方は重要だなぁと思うのでした。
はい。