忘れることは、人生で何番目かに大事なことだ。
ここで言う忘れる事というのは、
いずれ思い出すだろう、でも今は忘れる、そんなこと。
ものごとというのは、
例えすっかり忘れてしまったとしても、一度肌の内側に入ってしまえば、
そう簡単には失われない。
内容そのものはすっかり、跡形もなくなっているようでも…
その、輪郭だけはきちんと残っている。
忘れるということは、在る意味で、記憶をアーカイブすると言うことだ。
アーカイブする先は、メモ帳であったり、深層心理であったり、”MUTTER”であったりするが、
とにかく、忘れると言うことは、失うということと同義ではない。
もし、忘れると言うことを、完全に放棄してしまうと、
確実に、他の何かを取り入れられなくなってしまう。
忘れてはいけないことは、けして離してはいけない、
でも、それ以外の多くのことは…常に持ち続ける必要はない。
忘れることを上手く出来ない人は、
結局は、全てを、『忘れていって』しまう。
何かを、得ることができない、そんな人は、
ものごとを、きちんと自分の中に収めることができないか、
あまりに多くのことを抱えてしまっているか、
そのどちらかだ。
決して、記憶力が悪いだけではないのだと思う。
情報の、取捨選択と、整理の仕方が、拙いのだ。
シャーロック・ホームズの指摘を待つまでもなく、
人間が記憶できる容量には、限界がある。
多くのことを記憶するためには、輪郭だけを残して、中身を外に持ち出したり、
またその輪郭を、整理していかなければいけない。
恐らく、人間の記憶容量は、人によってそう変わるものではない、
もし人より少なくても、容量不足に悩むほどの差はない、
きっと、目の前をどう扱うか、が、もっと、重要なことなのだ。
人間の『忘れる』は、
デジタルカメラのメモリー消去とは違う。
それは、なるべくシンプルな形で、どこかにしまうことであって、
いわば、記憶することと、同義のことなのだろう。