心配してくれる友達の大切さ。

最近どうも心にわだかまりがありまして、
そういうことを、ちくちくと文章に織り交ぜ気味だったんだけど、
そういう文章の流れを感じた友達が、
mixi経由で『大丈夫?』と気遣ってくれまして。

正直に言うと、まぁ取り乱してるというわけではなくて、
単純に…イライラする思いを書いておきたい、程度のものなのだけど、
でも、心配してくれることはありがたい、と思いました。
ホントに。


まぁ、mixi経由で『再開』した旧い友人なので、
言ってみれば、文章を通してしか繋がっていないのだけど、
逆に言えば、普段会ってる友達は、
僕の冗談や笑顔に誤魔化されてるのかもしれないし、
良く会うからと言って全て真実を話しているとも限らないし、
むしろ、感じることには何らかの真実が含まれてるよな、と思う次第。


結局僕は、
彼に対して、感謝と愚痴の長いメールで応じたのだけど、
そうだな、長いことこういうことをやってれば、
そういう流れになるときもあるよ、
あくまで、自分の心に接した位置で、文章を書いてるから。

きっとまた暫くすれば状況も変わって、
今度は逆に、あまりに上機嫌で、
テンション高くて、引くことも来るかもしれない(笑)
ただ、どんなに毒舌吐いてても、
僕は、ネット上で誰かを名指しで批判するために書いているわけではなく、
なぜ良くなかったのか?どうすればよかったのか?
ということを、客観的に書こうとしている。
結果、失敗してることもよくあるけど、
そういった文章は、きっと、書籍化するときに弾かれるわけで(笑)
あくまで、僕の意図を追うという意味では、
十分に存在価値はあるのかな、と思う。


とはいえ…書いてはみたものの、
どう読んでも個人批判にしか読めなくて、
公開できない文章もあるのだけど(苦笑)
それはきっと、僕に具体的な何かを実行する力がないからだろうね。
誰かを批判するのは簡単だけど、
それを踏まえた上で物事を前へ進めるのはそう簡単でもない、
『誰か』が圧倒的に悪くても、
大事なのは批判そのものであってはならないわけなので。


ああ、8月下旬からこっちの文章。
読んでいて、どうも雰囲気変わった?と思う人がいるなら、
それは多分正しい。

指摘してくれた友達への返信でも書いたのだけど、
和歌山に4日間いる間に、色んなことを考えた。
その期間は、まったく僕だけのもので、僕の中では非常にナチュラルに、
物事は変化していったのだけど、
周りから見ると、トンネルに入って出てきたら少し変質していた、と
見えなくもないかも。

その違いは、違いだけを取り出して説明できるようなものではないので、
徐々に感じてもらえればいいかな、と。
いずれ、その感覚も、旧い僕に徐々になじんでいって、
違和感が無くなってくると思うので。


まぁ、僕の近況と言えば、そんな感じ。