『車間距離』という言葉をよく使う。
これを僕が使うときは、
人とのコミュニケーションの距離感を指しているのだけど、
これをきちんとつかんで会話するのは結構難しい。
元々どこからヒントを得て使っているかというと、
マガジンに連載されていたサッカーマンガの中で、
フリーキックとか対人とか、感覚の微妙な修正を把握するというような意味で、
『車間距離』という比喩が使われていたところから来ている。
要は、単純な距離感ではなくて、
上手くいくための、感覚の差、みたいなものだ。
もちろん、そんなものをつかまなくても円滑に会話することは出来る。
相手の言うことを聞いて、相槌を打って、自分のエピソードを披露すれば、
楽しい会話の出来上がりだ。簡単。
そういう会話が良くないって言ってるんじゃない。
でも、僕はそういう会話だけでは満足できない。
僕はもっと、『ギリギリ』を攻めたいのだ。
GKが全力で飛びついて、その指先5センチのところをボールが通過するような。
車間距離をつかんでいくという作業はつまり、
その5センチを、2センチ、1センチ、0.5センチ…と詰めていくような作業だ。
そして、それがわかってくると…話の精度が上がってくる。
決して間違っては行けないのは、
その人を把握するということとは違う、ということだ。
人を把握することなんて出来ないし、解ったつもりになっているといつか傷つける。
『こんなこと言っても大丈夫だろう』の一言が、
致命的な一言になることもある。
そして、得てして、言った本人は気付かない…
そうではなくて、その人から出てくるものを、知るということだ。
営業とか、受付とか、その手の『多くの初対面を相手にする人』にありがちなのは、
相手も第一印象と物腰で、相手の人格を断定する。
僕は比較的誤解されやすいタイプなので、
そういうことには人一倍神経質なのだけど、
まぁ、正しく理解されることはきわめて少ない。
冷たそう、とかね。
他のものに興味がなさそう、とかね。
気むずかしそう、とかね。
きっと、あらかじめステレオタイプを決めて、
それに則ってコミュニケーションをするのが、
多くの初対面と会う人にとっては、効率的なのだと思う。
車間距離で言えば、車間距離の決め打ち、だ。
こういうタイプであれば、この辺りならOKだろう…というような。
ビジネスならそれで良いかもしれないけどね…
『あなたってこういうことしそう(言いそう)だよね』
と聞くのは、まだ全然良い方で、
わかろうとしてくれてるから、それがないと何も始まらない、
でも、その手の人たちは、それ前提で喋ってくる。
きっと、10人に営業掛けて3人にヒットしたら首位打者みたいな状況では、
そうなるんだろう。
個人的なつきあいの時には、僕はそう言う人に対しては、
『相手をきちんと見ることが出来ない人間』
と判断する。
相手を、コミュニケーション相手としてとらえることが出来ない、と。
そう、自分も相手に見られてるんだよ。
だから、車間距離を把握しようとすることは重要なのだ。
さっきも言ったとおり、それが無くても円滑な会話は出来る、
車間距離を実用レベルまで把握するには時間が掛かる、
でも、まともにコミュニケートするためには、避けては通れないのだと思う。
そういうことが、(少なくとも感覚レベルで)わかってる人は…
3人に1人…もいないか。
個人的事情でも変わるかもしれないし。
でも、話せばわかる、それほどはっきりしてる。
年齢じゃないよね。