精神論的な物は当然…

先日、体育会系について、みたいなことを書いたのだけれども、
自分的にはいまいち不満の残る文章だった。
ただ、『体育会系的』と呼ぶな、といってるだけな気がする。
本当はそうではなかったのだけど、
感じていることを上手く言葉に出来なかった。
もどかしい。

そんなことを思っていたら、
いま、意外な場所で、意外なほど的確な言葉を見つけたので、
それを転載しておきます。

今回行った、ハメコ。氏へのインタビューの席で印象的だったのが、筆者の「格闘ゲームで強くなるためには何が必要だと考えますか?」という問いに対しての回答。

氏は「環境が一番大事だと思います。それは、一緒にプレイする人たち、プレイする時間、それからお金も含めて」と答えた。そして「あきらめないで練習しよう、とかそういった精神論的なものは、当然持っているべきものであって、その上で環境を作り出すことですね。センスだけじゃ勝つのは難しいでしょう」と続く。

これはどこからの引用かというと…
ITMediaの記事、『ITmedia Games:あの「HORI」がオリジナルスティックを製作――
加熱するEVO2005 チャレンジ』
から。
記事内、鉄拳のトッププレイヤーの1人、ハメコ。氏のインタビューがあるのだけど、
その中でのやりとり。

注目したいのは…精神論なんて、あって当然、という考え方。
勝ちたい、という気持ちの部分があるのは当たり前のことで、
その上でなにが出来るか、準備をどうするかという部分なわけだよね。
全く違う分野だけど、やはりそうだよなぁ、と思う。


アトランタだったっけ?
オリンピックの選手が『楽しむこと』をやたらと全面に出して主張していて
それに強く違和感を持ったのだけど、
結局それって…無い物ねだりというか、アレルギー反応というか。
MLBなんかでもそうだけど、必死に、がむしゃらにやっていることを楽しんでいるんだよね。
自分がすでに楽しめていないことを分かって、
むしろ緊張感を犠牲にしてまで、緩めようと思ったというか…

精神論なんてのは…成功するためには当然のことで、良い悪いじゃない。
『なんだって、やる気があれば出来る!』
という焚き付け方は確かに間違っているかもしれないけれども、
(やる気があったって、出来ないときは出来ない)
安直な精神論忌避の流れで行くと、
『やる気』そのものから否定するでしょう?
気持ちなんかひとっつもプラスにならねぇ、みたいな。

いや、違うんだよ、
何が違うかっていうと、見ている物のレベルが。
ひくーいところで満足したいんなら、それでも良いけれども。


もちろん、アトランタに関して言えば、
あのときのヒステリックな行動の裏に、
メンタルな部分に関する取り組みがあまりに遅れている、
日本のスポーツはメンタルな部分はひたすら個人の特性に任せるだけだったからね、
そのことがスポーツ全体で認識されたという意味で、
十分に意味があったんじゃないだろうか。
競技者は、どんなときに楽しめばいいのか、ということを、
選手も把握したと思うし。
そのことが、アテネでの超好成績に繋がっているのかもしれないし。
しらんけど。


まぁ、とにかく、そういうことです。
(やっぱりまとまってねぇ)