島国根性?[2]

島国根性エントリに関して、松永氏から直接コメントを頂きました。
心理状態はさておき、私が松永氏のコラムからインスパイアされてエントリを書いただけであって
氏のコラムの正誤を問題にしていない、と言うことを理解いただけなかったようですので、
この際、氏のコラム内容から離れつつ、改めて書きたいと思います。


私が指摘したかったことは、
島国根性というのは、日本に意識ベースを置くこととは違うと言うことです。
そこには、その国に対する侮蔑の感情、
もし何らかのナショナリティを感じるので有れば、そこに恥という概念を持つことです。
さらに突っ込んで言えば、『島国根性』という単語が成立するのは、
そのような概念が成立すると共感するコミュニティにおいてのみです。
当たり前のことですが、自らにその単語がなければ、その意味は伝わらない。
そういう意味で、このような単語を軽々しく使う氏は、
他言語に関して指摘していながら、実際の意識は極めて内側を向いている、
ということを指摘したかったわけです。

コメントおよび後述ではっきりすると思いますが鎖国とは過去の政治形態を差す言葉であり、
現在使用する場合には様々な意味合いが生じます。
少し考えれば明らかであるその事実を、自らの煽りのために安易に使用する氏の常識に
疑問を呈したと思っていただきたい。


日本語にしか対応しない開発者が、果たして島国根性に当たるのかどうか?


もしそれに当たるとするので有れば、想定する開発者はよほど他言語が嫌いなのでしょう。
さて開発者は、他言語を排除した上で、最終的に日本語を選択しているのでしょうか?
ある種のユーザにはそう見えるのかもしれませんが、実際はそうではなく、
母国語として日常使用する言語を、そのままプログラムのデフォルトとして選択しただけです。
決して、排除したわけではなく、想定外である、と言うこと。
想定しないことは排除ではないのか、という理屈が成り立つように見えるかもしれませんが、
そうではない、
外国が存在することを知っていながら背を向けることを鎖国というのであって、
日本語を解する人間に向けて話しかけることは鎖国ではありません。


それらを、自分視点で眺めてみれば、先ほど指摘したとおり、
想定外=排除という認識が成り立つと錯誤することも十分にあり得ます。
しかし、そうではない。
それは、自分が想定の範囲内にないが為に、想定に含めろ、と迫るだけであって、
鎖国云々とは全く関係のないことです。


英語に関する部分に関して氏はコメントの中で、
「アングロサクソン至上主義」
それともこれは「英語至上主義」「英語万能主義」の弊害と言った方がいいんでしょうかねえ。
と、半ば侮蔑的な発言をされていますが(釣りだったらスマソ)
これも、氏の考えすぎではないでしょうか。
私は、WEBでの現状を指摘しているだけであって、どうなるべきかは書いていません。
なぜ英語を使うのか、答えは、アングロサクソンに対するあこがれや、
英語という言語の優秀さに基づくものではなく、単に便利だからです。
それ以上の理由はありません。


前コラムで書いているとおり、現在もその状態(英語中心の状態)が続くのは、
多くの人が問題意識を持っているものの、まだ改善に至っていないためだ、と考えます。
理想はさまざまですが、現状は現状ですし、
氏の指摘は残念ながら、氏の経験に基づく見解でしかないかと思います。
私は、英語中心の理由や、正誤なんかどうだって良いんです。


さして知らない人間について、揚げ足を取る為にこれを書いているわけではありませんが、
SHIFT JISやEUC JP以外のエンコードを切望する人間を想像できない開発者がいるのと同様に、
鎖国や島国根性という単語は、正しい定義が存在する言葉ではない、
そう想像できない人間もいるのだ、そう指摘しておきたかっただけです。


多少、侮蔑的な表現も混じっているかもしれません。
それは本意ではありませんので、もし読んで不快な思いをされた方がいましたら申し訳有りません。
ただ、島国根性という言葉を有するコミュニティ、それを意識できますか?ということです。
いってみれば、あなたの発言は、
島国根性丸出しですけれども、気付いていますか?そういうことです。

なぜ僕がこれに対して神経質になるのかは、
また別のエントリを用意する必要がありますが、
簡単に言えば、有る1つの考え方があり、それから忌避しようと真逆に走ることは、
結局は元々の『有る1つの考え』と同じことになる、という考えからです。
足して1になる関係は、2人でやるババ抜きよろしく、
彼我に大した差を生まない、そういうことを感じているからです。
(まぁたぶん、わかんないですね、これは)


以上、長くなりましたが
この件に関してはこれで終わりです。馬鹿馬鹿しいですから。
最終的に、元コラムの正誤に巻き込まれるのはごめんです。


最後に。
言葉の定義や、現状分析に関するコメントはご遠慮願います。
コラムの正誤などについても、松永氏の方へお願いいたします。
良い悪いは別にして、私と松永氏の論理は交わらないと思いますし、
これ以上の議論は無用でしょう。