昔、『No Cool No Tough No Kind』というテーマを掲げて、
日々暮らしていた時期があった。(詳しくはこちら)
簡単に言ってしまえば、頑張り過ぎなくていいよ、気楽に行こうじゃないか、
そういう意味だったのだけど、言葉の裏のさらに内側を言えば、
要するに、クールに、強く生きたいのさ、ということでもあるんだと思う。
クールに生きる…
難しい問題だ。
そもそも、クールって何なのよ?
昔それが気になって、『クールとは何か?』という
小難しい哲学的な本をひもといてみたりもしたんだが、
まぁ非常に乱暴に、その本の中身をまとめるなら、クールとは、
在る一つの『時代』の中で共有される、『格好いい』という理想のようなもの、とでも言おうか。
まぁ当たり前だが、自分が思うクールと、他人から見たクールとが一致していなければ、
いくらカッコつけても格好良くないわけで。
(そういう人もしばしば見かけるけれども)
自分が格好良ければいい、というのは、それはそれで一つの美学だけど、
残念ながらそれはクールとは言わない、ただの好み、だ。
共有できて初めて、クールになる。
(だからオタクもコミュニティを作る)
んで、まぁ昔から読んでる人は話の展開が読めるかもしれないけど、
この手の話を突然始める場合、僕の頭の中には、在る想いがあって、
それを遠回しに言いたい、と思ってるときが多い。
ただ、それを直接言うには大事過ぎるし(もしくはうっとおしいし)、
公の場所に名指しで書いたり、具体的に書いたりするのはイマイチ。
だから、朧気に書いて、何とかわかってもらって止めていただきたいなぁ、
なーんて甘えた考えを持ってるときに、
こういう話の持ってき方をするのだけど…
まぁ、今回は敢えてそれはここには書きません。すまん(笑)
しかしなんだろうな、他人との価値観の違いを自覚したときに、
『なんだよあいつ(笑)』ていう感情の裏側で、
『あれ、俺がおかしいのかな?』と思うのはよくあることで。
(自分に自信のある人は違うんでしょうけれども)
そこんとこを、どう処理していくかってのは、
意識すると意外と上手くできないもんだな、とは良く思うこと。
何かの真似したり、俺が思うんだから良いだろ?と押し通したりするのは
凄く簡単なんだけどねー…イマイチ。
何か書いてる途中で、思考的に横槍が入ったせいで上手くまとまってないな。
まぁ、続きはまたいつか。
とりあえず、クールさへの示唆、ということで。