もちろん、非現実的な話としてだが、
出家しようかなーと考えていた。
出家というのは、人間界にあるあらゆる欲望と関わりを絶ち、
苦しみから逃れるために行う宗教的な行為で、
最終的にはそれらを超越し、悟りを開くことが目的…だと思う。
で、思ったんだが、出家ってのはある意味で、『逃げ』なんじゃ無かろうか。
あらゆる苦しみを『絶つ』わけで、安易な逃げではないけど、
逃げた上にそれでもまだ生きる、と言う意味で、『究極の逃げ』では。
自殺というヤツも、逃げの選択肢のひとつではあるけれど、
自殺は死んだらそこでおしまい。
全てを放り出すのだから、逃げるもへったくれもない、逃げた先はないのだし、
ただ終わるだけだろう。
出家とはそうではなくて、生きて、その先も考えながら、
それでもなおかつ苦しみから逃れたい、という、極めて人間的な、
逆説的に、非常に欲張りな考え方なのではないか?
宗教的な話を度外視すれば、
僕ら人間は、欲望を失ったら人間として成り立たない。
出家するということは、人間である自分を捨てて、
何か他の生き物へ『逃げる』ことに他ならないだろう。
要するに、僕は、逃げたかったんだ。
単調になりがちな生活や、プレッシャーや、仕事のストレスや、下らない社会や、
そういうことは実はどうだっていい。
別にそれから逃げたいと思うわけじゃない、
ただ、自分に対する思いから逃げたかった。
欲しいものがなくなれば、渇望も、葛藤も、煩いもなくなるんじゃないか?
夜の街を、歩いて帰りながら、
そんなことを、ぼんやり考えていたんだ。