2004年後半、
公私ともに嵐、および嵐の予感が本当にてんこ盛りなのだけど
またもや、大きな出来事がありそうな感じ…。
これをここに書くのは、道徳的にどうなのかよくわからないが、
既に痴呆気味の父方の祖父が、そろそろ…らしい。
何ヶ月か前から、『治る見込みのない病気』を抱えており、
そのことを知るごくわずかな人間(両親と兄妹)は、暗澹たる気持ちでいた。
もちろん、祖父が亡くなる寂しさ、悲しさということもあるし、
現実的には、祖父が亡くなった場合、
父親が仕事を続けられなくなるという問題もある。
僕が静岡に帰ったところで事態が好転するわけではないから、
『帰ってこい』ということにはならないとは思うが、
(もしかすると、逆に京都に出てくるのはありそうな気もする)
いずれにしろ、単純な問題ではない。
妹は結婚する気でいるようだが、このことが解決しないうちは、
それも進められそうにない。
珍しいのだと思うが、
僕の祖父母は4人とも健在で、僕は人間の肉親を亡くしたことがない。
ひとり、伯父さん(父親の姉の夫)が亡くなっているけど、
きちんと話をしたことがなかったし、血も繋がっていなかった。
だから、亡くしたときに…どういう気分になるのか、まだ、想像できない。
僕は本家の長男であり、静岡の名士でもあった曾祖父に可愛がられて育った。
祖父は、薬局を営む『平民』からの婿養子であり、肩身が狭く、
曾祖父が健在の時はあまり僕に触れようとしなかったが、
曾祖父が亡くなってからは、可愛がってくれるようになった。
僕が祖父の母校(古くは静岡中…現在の静岡高校)に入学したときの喜びようと言ったらなかった。
(多分、僕も孫が入学したら同じように大喜びするんじゃないだろうか)
名古屋で一年浪人して、京大に入学し、静岡を離れてからは、
余り会う機会もなかったが、たまに帰って挨拶に行けば、必ず嬉しそうな顔をしてくれた。
祖母や、叔母さんは決まって、詮索好きな…好奇心ありありの笑顔で、
正直僕は今でも苦手だけど、
祖父はつまらない土産でも、本当に喜んでくれたから、
必ず正月にはお守りを買って帰った。
普段、1分や1時間、1日というスパンで、何も変わらないつもりで過ごしているけれど、
家族の形も、ゆっくりとだが、確実に変わっていく。
近い将来、僕も妹も結婚し、両親もいつかは亡くなるだろう。
変わっていくことは止めることが出来ないし、ただ、受け入れるしかないのかもしれない。
せめて、祖父が、
苦しまずに眠れるように、京都から、祈ろう。