地震。考えること。

知らん間に、3日もさぼってた…
日記見てもらえれば分かるけど疲れてた&時間が無かったのよね。
どんなに一杯一杯でも更新してる俺のことなので
どれくらい時間がないか想像していただけると思いますけど(苦笑)

最近のニュースと言えば、やっぱり地震…。
テレビは見てないけど、ネットで見る限り凄く悲惨な状況みたいだね…。
地震そのものの被害もそうだし、
今日も、疲れと寒さで何人か亡くなってるし、
本当に、掛ける言葉もない。
そんな言葉考えてる暇があったら、ボランティアに行くべきだと思う。
そして行けない自分がいる…嫌だなぁ。

静岡出身の性なのか、
新潟の状況を見て、やっぱり一番最初に、あれが家族だったらと思ってしまう。
静岡だったら凍死することはないだろうけど、
やっぱり悲惨なことになると思うし、
山間部の友人には死ぬ人も出てくるかもしれない、
台風でさえ岸を削る静岡の海は、
津波となって押し寄せると思う(東名高速道路まで来るという話)
きっと静岡では、新潟の惨状を伝えるニュースと並行して、
静岡の防災計画の見直しや、確認を促すニュースが流れているだろう。

もしかしたら、僕が生きているうちに、東海地震なんて来ないのかもしれない。
いずれ来るのは確実だが、阪神大震災以来の研究で、
日本中どこでも、東海地震クラスの地震が起こる可能性がある、
というのはわかってきてるし、
東海地震のようなプレート直下型でなくても、
断層だけで十分破滅的な被害を出すことも分かってる。
最悪のシナリオは、東海地震と連動して、
東南海地震、それから富士川の断層が動くことらしいが…
(そうなったら、三重、愛知、静岡、山梨は崩壊する)
結局、わからない。

僕らに出来ることは、覚悟することだけだし、
間違っても、占いや、予想や、地震雲に惑わされてはいけないのだ。
『来る』と分かったところで、仕方のないことだから。
誰かは死ぬし、何かは崩れる。
そこから、遠くへ逃げるわけにも行かない。

つまりね…日常と、変わらないんだ。
僕らは、生きてるつもりになってるけど、
明日、死んでも、おかしくないんだ。
人間が、死んだ体にもう一度電源をぶち込む方法を見つけない限り、
僕らは、ほんのちょっとした差でしかない。

そう考えると、生きる目的、なんてのは、あんまり重要じゃないな。
まず、生きてることに意義があるんだ。
ほーんの、ちょっとの差で、偶然生きてるんだから。
そう思うね。