ennui.

今夜、僕がアンニュイな気分なわけ…それは決して偶然ではない
それは、オリンピックと無関係ではない
4年前のブルーな日々、そのときも、テレビは、オリンピックを映し出していた。
たまたま通りかかった、窓の下、
窓ガラスには青い、テレビ画面が映し出されていた
その青さは、闇の中でやけに目に付き、痛かった

そんなことを、思い出してしまった
静かに眠るはずだったけど、誰かに会いたくて、足を向けてしまった
誰か、気のおけない友達にあって、
ばかばかしい話をして、笑って、こんな夜を明かしていたかった

別に、誰かにそのことを話して、すっきりする話、でもない
もう喋り飽きたし、すっきりしていることだから
だが、4年という年月が、どんなものだったのかを、思い出してしまったとき、
ふと、立ち止まって、いたくなったのだ、

テレビでは、長野での熱狂が、連日流されていた
僕も、それを楽しんでいた
昨日のことみたいだ

何を書いたらいいのかよくわからない
万が一、このページを見て、笑われたり、あわれに思われたりするのは嫌だ
そんな必要はないですよ
ぼくはいま、幸せだから
それでも、諦めていた返事はやっぱり嬉しかった
そういうことなんです

4年後のトリノからのテレビ中継を見つめても
同じことを考えるのだろうか

すべては、はっきりし、すっきりし、終わっている
けど、ふとしたとき、こういうことを考えて、ブルーになって
立ち止まってみる
?ブルーにはまだなっていない、僕はなんなのだろう、わからない



ぼくはけっきょくのところ、まったく変わっていません
大人になりきれず、かといって子供でもないまま、
年齢だけは、大人のものになっている、
ぼくはどうなってしまうんでしょう?

しばらく、考えます。

全てが終わってからまだ、4年もの間、心の中にこの記憶が、
いろいろな映像と一緒に残っている、ということに、改めて、驚きます。
僕が、口に出しては云えないけど、本当に、好きだったからでしょう。
(もちろん、いまでも好きですけどね)

そして、このことが、もう『記憶』になっているからなのでしょう。
記憶は写真のようで、
もう、動きはしない。

僕には、写真に頼らなくても、幸せな、今、があります。
それを、大事にするつもりです。


これが、なんなのか、


しばらく、考えます。