いいモノができる時ってどんなとき?
っていうことについてあんまり深く考えたことはなかったんだけど、
先日、京都某クラブスタッフりょうすけさん(仮名;MAZDA風)と
話をしてたときに(話題は彼の不健康さについて…)
Ryo『御飯とか食べて満足しちゃうとなんかモノが創れなくなる』
と、ふと言って、そのときはそうかなぁ…と思っただけで、すぐに忘れたけど、
ついさっきそれをふと思い出した。
そのときは酔ってたせいもあるし、あんまり深く考えずに
is『でも幸せじゃないときに作ったモノで人を幸せにできますかねぇ…』
なーんてわかったような、でもあっこいつ何にも考えてねぇなというようなことを言って
ごまかしたんだけど、確かにそうかもしれない。
というか、いいモノというより、創作意欲の問題かもしれん。
何も食ってなくて、前の日も徹夜で、時間はもう朝に近づいてる
なーんてとき、
頭も体も動かないからとてもモノなんて創れるような状態じゃないのに、
なんかやたらとやりたいことが浮かんでくるような気がする。
そこで例えば、寝ちゃったり、夜食を食べちゃったり、セックスしちゃったりすると、
なんか、もう、まーいいやぁ…的状態になって
どうでもよくなっちゃったりする。
んでもって俺がわかったような風に言った言葉を吟味してみると、
世の中みんなを幸福にしているモノ、感動を与えているモノ
それがすべて幸福な環境から生まれてきた…なんてことはないよね。
幸福って何だろう…なんて言い出しちゃいそうで危ない危ない、
それやると終わらないから置いておくけど、
確かに、幸せが込められてるなぁ…というモノはあって、
それは時に人に感動を与えるんだけど、
『創作活動』として考えたとき、
それに触れる人にとっては、他人の幸せなんて別に興味ない、ってことも多々あるわけで。
そう考えていくと、あーあのセリフは失敗だったなぁ…とか思ってる次第なのです。
それで話を元に戻して、『いいモノが創れるとき』だけど、
結局はやっぱり集中できてるかどうか、だよね、
食欲とか、睡眠欲とかすらも感じない状態ってのが一番ベストで、
不健康な生活を繰り返してしまうのは、
集中するため、というよりもむしろ、
集中してるから…なのか?なんて考えてみたり。
『何かを創る』ってのは何も特別なことじゃなくて、
仕事だってそうだろうし、日記だってそうだろうし、
もちろん音楽、絵画、文章、映像、なんでもあるけど、
つまり身近なことってこと、
それでも、あんまりよくわかんないよね。
“天から下りてくる…”
っていっつも、やっぱり思うよな。そうなってくると。
わからないことは、神様に預けちゃおうっと。まずその『神様』ってのが
どこの誰かしらんけど。