カメラを持つようになってから、まだ、ほんの5年くらいしか経っていない。依然、知識も腕も機材も貧弱なままだ。
カメラを持つきっかけになったのは、すごく不純なことだが好きな女の子ができたことだ(でも周りを見るとそういう動機をしている人間も多いような気もするのだけど?)。その好きな女の子を、変な意味ではなくて、写真に撮りたかった、可愛い女の子を、可愛く撮りたかった。同時に、自分の周りにいる全ての人、そして自分のすべてだった愛馬、そうした物に目は向けられていた。だから、僕の興味は風景写真などには向かなくて、ただひたすらポートレートだった。カメラに詳しい先輩にする質問も、大概ポートレートに偏っていたし、その先輩にもらった本も、ポートレートの部分だけを熱心に読んでいた記憶がある。
僕にとってカメラとは、時間を切り取ることができる機械、だ。ビデオカメラのように全てをおさめるようなことではない、時間の流れの中のある一瞬を。でも、捉えるのが例え一瞬だったとしても、そこにはビデオカメラではおさめきれない動きがある、きっかけを作る、と言ってもいい、もし、全てを記憶に残すためであったなら、カメラより、ビデオカメラで全てを保存してしまえばいい、そうすれば、曖昧になることもなく、きちんと何十年でも残るだろう。でも、それでは、興醒めじゃないか?全てを見せることがベストじゃない、朝顔を一輪だけ残した千利休を比較に出すのはおこがましいが、でも、そういうことだと思う。
僕にとって今が全てであると同時に、過去も全てだ。未来は分からない。
僕はそのためだけに、時を切り取り続ける。
(2000.12.06)