このブログを見ている人とはあんまり関係ないだろうクラスタにおいて、「自分が嫌だと思うことを自分のブログで嫌だと言って何の問題があるの」的な話題が出ていました。「そういうことを言うのも僕だし嫌ならここを見なければ良いしファンを辞めれば良い」というような結論に発展し、まあそう言うのって実際良くあることで別に何にも特別じゃないんですけど、ああ、そういうのってあるよねと思いました。
昔は僕も思ってました。「嫌いなものに嫌いと言って何が悪いんだ」と。誰に制限されるでもなく、それは自分の素直な感情ですから、そのことを抑えるなんて気持ちが悪いじゃないかと。嫌いなものにほどほどの評価を与えて作り笑いするなんてしたくない。自分の気持ちに素直に、良いものは良い、嫌なものは嫌と言うべきだと。
でもねえ、年を重ねて、あと「1日1ニコ」というニコニコ動画の動画を紹介するサイトをするようになって考え方が変わったんですよね。
まずね、世の中には「素晴らしい」と言えるものが本当にたくさんあるんですよ。それは有名だったり無名だったりいろいろですけれど、とにかく「素晴らしい」と言い切れないくらいある。その何が素晴らしいのか、その何に自分が感じるものがあったのか、その何を見て欲しいのか、そういうことを際限なく言いたいわけです。その時間が足りないくらい、世の中には素晴らしいものがたくさんある。
一方で自分の気に入らないものというのもたくさんあります。あいつのやり方は気に入らないとか、あの表現は自分の好みではないとか。世の中に表現者はたくさんいますから、自分が「素晴らしい」と言いたい人たちと同じくらい、「それはないだろ」と言いたい人たちも世の中にはいます。
ただね、時間は有限なんですよ。嫌いなものに対して「それが嫌いだ」と言っている時間があるなら、良いものに対して「素晴らしい」と言っていたい。「それが嫌いだ」と言っている時間がもったいない。世の中はもっと素晴らしいもので溢れてる。色んなことを考えて最終的に僕がたどり着いた結論がこれです。
好きなものは好きと言っていたい 嫌いなものはなるべく嫌いだと言いたくない その分、好きなものをもっと好きだと言っていたい
— いず (@nobodyplace) August 24, 2013
まあね、若いってのはそういうことだから仕方ないと思うんですよ。「俺はお前らとは違う」とか「そんなことしてるお前らはくだらない」とか言いたくなりますよ。でもね、創作活動してて、そんなことに使うエネルギーもったいなくないですか。もっと自分のことに使ったら良いんじゃないんですか。自分が良いと思うものに「これ良いよね!」と言うためにエネルギー使った方が建設的じゃないですか。
世の中に「負のオーラ」をまとってる人が大勢いることは、もちろん解ってます。不安、嫉妬、様々理由はあるでしょう。だけどね、それに取り込まれたらおしまいだと思うのですよね。嫌いなものに対して「嫌い」というのは簡単ですよ。そう、とても簡単でそんなの勇敢でも何でもないですよ、でもね、それを言わずに好きなものだけを「好き」と言っている方がきっと幸せになれると思うんですね。「ああなりたくない」よりも「ああなりたい」を探す方がきっと幸せになれる。
ものを作る人が自分の創作物に対する不安から、様々な不安定な心境に至ってしまうのは十分理解出来ますけど、やっぱり、それを乗り越えてこそ見えてくるものがあるんじゃないのかなと僕は思います。年齢関係なくね。自分のオリジナル作品を世に問おうとしてる人なら特にね。嫌いな奴は放っておいたら良いじゃないですか。世の中には素晴らしいものがありすぎる。それを享受出来る幸せのために、エネルギーを使いましょうよ。