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少し重い戸を押して、バーに入る。 戸は、外の喧噪を、外の空間に完全に閉じこめていて、そこに独特の澱んだ、しかし透明な空気を作る。 その空気を感じることが、その場所への入店許可の代わりでもある。 店内には、サラリーマン風の男が一人と、どこかで食事でもして帰りに寄ったのよ、という二人連れの女性。 恋愛の相談をしているのか、真剣な表情の一人と、どこか諦めきった一人。 手元に置いた携帯が、メールの着信を知らせるのを横目に見ながら、ナッツを口に入れる。 少し喧噪で濁った空気を店内に持ち込んだ、二人を気にするそぶりもなく、何度目かのアドバイスを送る。 僕らは、レコードを選んでいるマスターの前を通り過ぎて、カウンターの隅に席を取った。 眺めていたライナーノーツから顔を上げ、ほんの少しの挨拶と、気付かぬほど静かに出されるドリンクメニュー。 ここには、誰もいない。 僕がここで注文するのは、タヒチ・ビールか、モスコ・ミュール、 考え事をしたいときのための、アブソリュート・ウォッカだけだ。 メニューを彼女に示し、僕はポケットからライターと、セブンスターを出す。 同じように静かに、灰皿が用意される。 やはり、ここには誰もいない。 いるのは、僕と、彼女と、耳に届くジャズシンガーだけだ。 僕は、マスターの顔を改めて見直し、そうだ、こういう顔だったかもしれないな、と思い直して モスコ・ミュールと、ジン・ライムをオーダーした。 まったく、今日のような気だるい日には、甘ったるいカクテルは似つかわしくない。