CSSは“全てのWEB屋”にとっては諸悪な根源でもない

文書をマークアップ(=教科書の重要なところにマーカで線つける感じ)するために作られたHTMLが、見た目の表現のために表じゃないところで<TABLE>でレイアウトしたり、乱雑になりまくったから、「スタイルシートによるページ作成」というのが今のトレンドになっているわけですが、

Web屋さんにとってのすべての諸悪の根源

がここに集中してある、と思う、現在の私であります。
 

少なくとも僕はそう思ってこなかったし、エントリ読んだ後でも特に変わらないな。


僕の考えを書く前に、ひとつ。

筆者の石坂さんの、『WEB屋』という用語が、僕の認識と違うのが、感じ方の違いなんだと思う。
面識も、取引もないので、仕事内容はよく分からないんだけど、
多分、グラフィカル的なWEBデザイナーという意味で、『WEB屋』という用語を使っているのかな?

でもそれは、多分一般的にも、『WEB屋』のごく一部の人のことであって。
『WEB屋』には、プログラマも、SEも、ひょっとするとマーケティング担当も含まれる。
僕自身、『WEB屋』だけども、石坂さんの想定するそれとは違うので、
このエントリに、実感を持てないんだろうなぁ、と思った。



僕は、デザインもするけど、今はプログラムの方が分量が多いんで、
コードを読むことにも慣れてる。

はてブコメントにも書いたけど、そう言う人間にとっては、
視覚的にここに何かを加えたいという感覚と、
CSS上でそのように書くこととは、変換無しに直結してるんですね。
だから、あ、いや卑下する気持ちは全くなく単に能力のバランスがどっち寄りかという意味で、
コードを読めない『WEB屋』にとってのみ、諸悪の根源となりうるんじゃないかとね。

不思議なことに、グラフィカルなデザインをするときには、
そんなことは考えない。
テンプレートの雛形書いてるときとかもね。
これをもうちょっとこっちに、という思考で、ソフトウェア上でオブジェクトを移動させる。
センタリングも、右寄せもボタン一発。
色の変更もパレットから。
確かに、便利そのもの。
でも、それを、WEBデザインでしたいとは思わないのだよね。

同じ“デザイン”なんだから、インターフェイスは統一された方が便利でしょ、
という主張は分かるのだけども、
僕にとってその2つは、あー、英語とスペイン語くらいの違いしかない。
英語で話すときには英語で物を考えるし、
スペイン語で話すときには、スペイン語で物を考える、それだけ。
確かに視覚的ではないけど、CSSに記述することそのものが既にレイアウト。

考えられない人は、翻訳機(=DreamWeaverとかね)使えば良いだけだし、
諸悪の根源というほどでもないなぁと。


僕という『WEB屋』からすると、CSSは枯れてるから良いんで。
そして、やたらと発展して、枯れていてさえあるブラウザ毎の実装格差を、
より一層広げてもらっても困るわけですよ。

せっかくレイアウトしたデザインが環境によって変わる、
環境毎に、レイアウトを用意しなくちゃならない、その方が遙かに面倒。



多分、そもそもの、ソースを分けることに依る可読性とかも、
グラフィカル寄りの能力を持ってはるデザイナーの人には分からないんだろうなぁと思う。

僕は、すっげー便利だと思いますけどね。
ファイル開いて、それが何してるか一目で分かるってのはね。