労働環境が良くなっているか否かという点について友だちと議論があり、「徐々に良くなり始めている、昔とは全然違う」と主張する僕と、「大企業は改善が進んでいるかも知れないけれど中小や零細企業ではそんなの全くない」、と主張する友人とで話が噛み合わず、話はそのままなんとなく終わりになった。
現実になにが起きているかを見ると、恐らくどちらも正しい。社会として「改善しなくては」という気運が高まっていつつも、実際に行動として改善に踏み切れているのは大企業だけで(大企業でもなかなか踏み切れないところも多い)、小さい会社や組織では今でもパワハラやサービス残業が存在している。そのことをもって「改善していない」とするのは間違っていないし、単に時間軸をどこに置いて考えるかの違いでしかないのだと思う。
ただ僕はそれでも改善……いや、良くなるかどうかわからないから「変化」と言った方が正しいかも知れない、その兆しを感じている。今だって労働環境は厳しいと言うかも知れないけれど、昔と違って大きく違うのは、
- それが「厳しい労働環境である」ということについて社会の認識がある
- パワハラ等、不当な扱いを受けた場合の訴え方がサンプルとして多数存在している
- そもそもなにが不当であるかの線引きがなされている
- 不当な扱いを受けた場合にどうすべきかの認識が広く共有されつつある
と言った点。
横暴な経営者がいて、労務を押しつけられたとき、
- それが出来ないのは自分の実力が足りないからなのだとか、
- そういう厳しい時期を経て人は大きくなっていくものなのだとか、
- そうした扱いをするのは従業員に対して愛があるからなのだとか、
- 労働者というものは(他に「この業界で生きるものは」なども)そうしてたたき上げられるべきなのだとか、
そうしたことを考えなくてはならない、考えるべきであるという認識が、今だって無いとは言わないが以前とは段違いに小さくなっている。良し悪しではあるけれど、ネットという情報を平坦化する装置の登場によって、それに自由に触れられる人から順にそうしたことが認識されるようになってきた。特に今の若者にとっては、なにが適切とされているか(≠なにが適切であるか)を判断するのは年上の人たちに比べればずっと容易で、その判断によって行動する人間がとても増えた。
このことはその人間が所属する組織の大きさとは関係がなくて、社会全体で動き始めていることである。また若者の判断基準を年上の人間たちが理解出来ないのは、年上の人間たちが情報の平坦化というメリットを享受できていないからでもある。
今目の前の事柄が変化していないとしても、「それでも社会は変わっている」。
良くなっているかどうかはわからない。必要な対策を行わずに労働時間を短縮し賃金を上げるだけでは、経営が苦しくなるだけだし、将来それがなにをもたらすのか僕にはわからない。でも労働者だけにフォーカスしてみた場合、昔と今とではまったく、全然、違う。よほど社会から隔絶している経営者で無い限り、社会や行政からの圧力も全然違う。よほど社会から隔絶している組織で無い限り、人手不足という形にでも表出してくる。
平成から令和になって、そのことはより一層加速していくだろうと思う。
社会は変わっていっている。
変わった結果良くなるのか、取り残された組織やそこに所属する人がどうなってしまうのかはよくわからないけれど。