高校2年の秋から春にかけて生徒会長をやりました。
高校の生徒会長(母校では「自治会長」という役職名だった)には「前期」と「後期」がありそれぞれ2年生がやるのが慣例になっていて、基本的には立候補制。今考えると高校1年生の後期から高校2年生の後期まで3期連続会長をやるというのも可能だったと思うんですが、さすがにそういう人材はリアルにはなかなかおらず、立候補者がいない場合には前元会長始め元執行部が立候補を探すといった具合でした。
前期は初夏に「仮装」と呼んでいた学祭があって盛り上がり、会長職も出番が多くて派手である一方、後期は「文化祭」「卒業式」というイベントはあるものの割と地味な役回り。僕個人は生徒会というものに全く興味が無く、出来れば縁なく過ごしていきたいと思っていたくらいですが、前期で存在感ある会長を務めた吉澤君が後期はやらないということになり、じゃああと誰よ?となってなぜか僕に白羽の矢が。
直接僕に話を持ってきたのは同じ中学で1学年上だった前田先輩(前年の前期会長)だったけれど、なぜ僕が候補に挙がったのか、僕に話がくるまでにどれぐらいの人が断ったのか、そういうことは詳しく聞かされませんでした。いまだにわかりませんが、とにかく誰かが僕を推薦して断り切れなかった僕はそれを受けることにしたのでした。今だったら断るなあと思うんですけど、でも僕基本的にお人好しなんで、今でもお世話になった人が話持ってきたら立候補してしまうかもしれないですね。次の市議会選挙に出てみないかとかね。やる気全くないですが。
ともあれ、僕が承諾したことで話はトントン進み、「立ち会い演説会」で学ランを脱いで演説して野球部に怒られたりしつつ(野球部は高校の伝統ある部活で規則が厳しく、周りにもうるさかった)立候補は僕だけだったのでほぼ信任投票みたいなもの。かすかな思い出で、投票か開票の模様をだらーっと見てた記憶があります。悪ぶりたかったのかな。当時の僕は真面目で全然そういうタイプではなかったんだけど。
自らは全く望まずになぜか生徒会長になってしまった僕でしたが、後期は生徒会主導で進むような大きなイベントがないので特にやることもなく、やったことといえば、まず各部活との予算折衝。それからあまりにやることがないんで企画した球技大会、最後に卒業式の送辞。ほんとにそれぐらいで全校生徒の前で喋ることもないし、地味な役回りでした。まあ僕には全校生徒の先頭に立って引っ張るみたいなのは向いてなかったと思うので、それぐらいでちょうど良かった。
そうそう球技大会がどういう経緯でやろうってなったかはよく覚えていないけど、あれはなかなか面白い行事でしたね。球技大会っていうと大体はクラス対抗とか部対抗とかになるんですが、僕らが企画した球技大会は、
- 全校生徒誰でも3人1組のチームを組んで参加可能なオープン大会
- 昼休みを利用して1週間ぐらい掛けて行うトーナメント戦
- 競技はサッカーの「PK戦」(3オン3もやったっけ?)
- 優勝者には何らかの商品あり
という感じで、まあまあ楽しめた記憶があります。誰が優勝したとか、商品は何だったのかとか、細かいことは全く覚えてませんけど。生徒会長としてなんかやったなあと言うとそれぐらいかな。
結論:生徒会長はやりたい人がやるべき
やりたいなんて1ミリも思ってなかった生徒会長だったので、今思うともうちょっと出来ることあったんじゃねーかって思うぐらい、やる気のない生徒会長でした。せめて僕がもう少し目立ちたがり屋だったら「早く登校して校門に立つ」とか「学食の新メニューを公募する」とか「かどやの感謝イベントをする」とか「長谷通り商店街と一緒になんかやる」とか「文化祭でダンスパーティを企画する」「クリスマスパーティを企画する」とか、ラノベにありそうな展開を志向したかもしれませんけど、まあないよね。推薦を受けるつもりもなかったからそういう評価も必要なくて、終始暇つぶし感が大きかったなー。僕が副会長に選んだやつは推薦のためにそういうのが必要で、それで推薦で明治大学に行ったんだっけかな。彼は利己的で確かに人望はなかったけれど、だからといって僕に人望があったとは思えないし、言われたら代わってやったのになあ。人に推されてそういう役職に就いたというのは、誰かが僕の何かを評価してくれていたという点でとても有り難いなあとは思います。他のほとんどの生徒の元には「会長をやらないか」という打診はなかったと思うので。でもやっぱり、そういうリーダー職には自分でそう望む人がやるべきだよなあとも思います。全校生徒が影響を受けることだからねえ。そういう覚悟もなく引き受けちゃったというのも、若さだったのかも知れないけれど。ま、それはそれでありだったか。貴重な経験であったことには違いないですしね。
でも、今ならやらないなあ。