例えば「演繹的な表現」がわからない人たち(その1)

パズルを組み合わせる人たちのイラスト(ビジネス)
色んな人と話していて思うことは、論理的思考能力や読解力というのは人によってものすごく差があるということです。自分と同程度の論理的思考能力を持つ人と話しているとき、人はとても話しやすく感じるし、ストレス無く意思疎通が出来ます。逆に相手の論理的思考能力が自分よりも劣るとき、または自分の論理的思考能力が相手よりも劣るときには、お互いにストレスがあります。論理的思考能力が高い人の方は「なんでこれがわからないんだ」と感じるし、低い人の方は「説明がわかりにくい」と感じる。自分と全く同じ能力の人はいないわけだし、相手に合わせて(もしくは低い人の方の能力に合わせて)表現方法を変えることが、コミュニケーションを上手く取るためのコツです。



「コツです」って書いてるけど、まあわかってても出来ないんですよねこれが。

僕自身の論理的思考能力がどれくらいかというと、恐らく中の上ぐらいかなと思います。ものすごく頭の良い人、専門家、哲学者が語るようなことをなんでも「なるほどね」と咀嚼していけるほどの能力は無いけれど、大体の理屈は第一印象で理解出来るし、理解出来なかったとしても何が理解出来ないかぐらいは見える。卑近な例としては、何かわからないことがあったとして「これがわかれば全体像が見える」ということがわかるから、検索も早いし欲しい情報に辿り着きやすい。昔「ウェブ検索を通じて情報を収集するには特別な技術を必要とする」というテキストで書いたんですが、その中で書いた「適切な検索語を選ぶことが出来ない」というのはこの「これがわかれば」というところが見えていないことに由来しています。検索語が適切でないから、情報に行き当たるのに時間が掛かるまたは正しい情報に行き当たらない。そういう人を見て僕は「なんでこれがわからないんだ」とストレスに感じるわけですが、でも能力に依るものだから仕方ない。本人にも変えようがないし。


あ、まあ、検索に関して言えば、上手に検索すること自体は能力と言うほどは複雑なことではなくて「技術」、もっと平易な表現をするなら「コツ」を知っているかどうかくらいでしかないので、練習すれば誰でもある程度は出来るようになるんですけど、それを教えたとして飲み込んでもらうまでに時間が掛かるっていうね。そういうタイプの人たちは、「見つからなくて諦める」「そもそも面倒だから検索しない」ということに慣れているように見受けられます。きっとあんまり興味が無いんでしょうね。


続きます。 → 例えば「演繹的な表現」がわからない人たち(その2)


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