静岡県民は、慌てない。地震と共に生きる。 | mutter
何か誤解されたようなので書くと、実際に地震が来たら静岡県民も慌てると思います。パニックも起きるでしょう。そりゃそうです。ただ、僕が言いたかったことはそうではなく、
ある場所で地震が起きた、それをきっかけに焦ってバタバタするのは止めよう。最低限すべきことを考えて、その準備だけしておけば良いよ。
ってことです。
相手が大自然である以上、被害を出さないことも、恐れを感じないことも、焦らないことも、慌てないことも、無理です。被害は出るし、恐れるし、焦るし、慌てるでしょう。でも、自分がその当事者になっていないときに、慌てる必要があるのか?というのが、記事で言及したかったことです。今目の前に現出していない以上、出来ることを考えるしかないでしょと。静岡県民は、その【イメージトレーニング】を十分こなしていますよ、と。そういうことです。
僕の実家がある地帯は昔安倍川の水流域であり、かなり強固な地盤になっています。さらにそれに加えてかなり深くまで鉄筋が埋め込んであり、ちょっとやそっとの地震では倒壊しないようになっています。それでもきっと、被害は出ると思いますし、両親も何らかの怪我はするでしょう。パニックになるかも知れません。いやたぶんなるでしょうね。
でも、その心配は、そうなってからすればいい。今、恐怖に突き動かされて、ヒステリックに行動しなくていい。静岡県民には(そしてたぶん太平洋沿岸の、地震を予告されている県の住民には)、それが準備されています。その中で生きていく、宿命なのだと。準備はしたけれど、それ以上は、もう仕方ないと。
地震が来ないことが一番良いことですけれどね。
そればっかりはどうなるか……全く解りません。