北海道増毛郡増毛町阿分(2012年4月)

阿分駅 (c) Mr-haruka © Mr-haruka


母親の実家がある(「あった」と言うべきかな)北海道増毛郡増毛町阿分。




最後に行ったのは高校生の時だっけ……もう20年くらい行けてない。まだ実家はあるものの、祖父はなくなってしまったし、祖母も施設に入っているので、たぶんこれから先も訪れることはないだろうなあ。そんなことを思いながらなんとなくGoogleストリートビューで見ていたら懐かしくなってしまった。残念ながら村の西側、海岸沿いを通る国道231号線(オロロンライン)上しか画像を表示出来ないけれど、いくつか画像で振り返ってみたい。撮影日は2012年4月とのこと。2年前か。











阿分での買いもの

26_01_01.jpg


国道から集落に入るのに一番広かった道。角にあるこの家はかつてはいわゆる「何でも屋」で、日用雑貨から駄菓子、雑誌に至るまであらゆるものがありました。よくお菓子を買いに行ったり、おつかいで何か買いに行ったりしたような。集落にはここ以外に店が無かったので、ここで買えないものは電車かバスに乗って留萌まで買いに出る必要がありました。電車は単線・ワンマンで片道30分くらい。もちろん駅は無人。

留萌に行ったら少し大きいローカルのデパートがあり、そこなら何でも揃いました。まだあるかなあと調べてみたら、デパートは既に閉店していて「るもいプラザ」という地域振興の建物に変わっていました。留萌「市」といっても人口2万人の小さな街だからなあ……商売を維持するのは難しかったんでしょうね。


26_01_08.jpg


デパートの名前は「八幡やデパート」だったようです。

るもいプラザ – 留萌のこと ≪蒼い海ブログ≫ 

私が小さくてカワイイ頃は、「八幡やデパート」という名の、とても賑やかで活気のある大きなデパートで、田舎者の私たち子どもはエスカレーターが珍しくて上がったり下りたり遊んでました..


あー懐かしい。。阿分から留萌に行くとすごい「都会感」あったんですよねえ。


ちなみに元デパートの向かいにあったペット屋は今でもあります。


26_01_07.jpg


ここものすごく印象に残ってるんですよね。入ったことはないのに。たぶんデパートの前でバスを待ってて、正面にあるペット屋を見てたからだと思うけど。



阿分小学校

26_01_02.jpg


村には小学校が1つありました。祖父母の家はちょうどその裏にあって学校のチャイムの音とかよく聞こえてきたものです。庭に軟式ボールやソフトボールが落ちてくることもしばしばで、祖父がそれを僕にくれたこともありました(殆どは学校に返していたと思いますが)。

小学校は今でもあり、建物も近代的でとても立派なんですが、多くの集落と同様に児童数はとても少なく、現在は教員数7名、児童数16名となっています。

阿分小学校|増毛町

あ、開校明治16年(1883年)なんですね。開校してから131年。歴史あるんだなあ……


写真には祖父母の家も写ってます。一応綺麗になってて今でも人が住めそうな感じ。でもまあ、古いなあ。よく毎年の雪で潰れないなあ。雪かきやってもらってるみたいだけど。

写真手前の空き地には木造の工場的なものがあったような。影も形もないですけど。



バス停

26_01_03.jpg


「何でも屋」の向かいの小屋みたいなのがバス停。ちゃんと屋根が付いてるのは北海道ではデフォルトですよね?周りに遮蔽物がないし雪も降るし。1時間に2本くらいだったっけかなあ……あんまり覚えてません。

現在は「沿岸バス株式会社」が運営するバスの留萌別苅(増毛)線で1時間に1本、料金は220円で、だいたい30分かからずに留萌まで着くみたいですね。電車とバス、近い時間の方を使ってるのかな。バスの方が街の中心部に行ってくれるので便利なのかも。

留萌別苅(増毛)線|沿岸バス株式会社

ちなみにこの会社、「萌えっ子フリーきっぷ」というのを発行してて笑った(笑)

一般路線バス|沿岸バス株式会社

ホームページにもふんだんにキャラが登場してるし、アプリも出してるし、結構かわいい。営利目的以外の趣味の範囲で創作・頒布する場合においてなら、二次使用もOK。ファンブックもあるらしい(笑)

絶景領域・萌えっ子フリーきっぷ|沿岸バス株式会社

頑張ってるなあ。



漁港

26_01_04.jpg


漁業は集落の収入源でもあるので、小さいながら漁港があります。僕が行っていたときにちょうど工事をしていて、すごく新しい漁港というイメージがあったのだけど、もちろん漁港だって20年経ってるので今では随分使い込まれた感。このあたりは沖300メートルくらいまで遠浅の海なので、工事は随分大変だったんじゃないかな。


ちなみに僕が行っていた頃はまだ「過渡期」で漁船はまだ港を使用していなくて、代わりにこの河口部分に多くの舟屋が立っていました。


26_01_05.jpg


船を着ける部分と漁業関係の道具を納める部分の半2階建てみたいな感じ。そこで釣りをするとでっかいウグイが死ぬほど釣れて、持って帰って食べた想い出があります。何を食べていたかはっきりとは覚えていないけど、朝ご飯はだいたいウニのすまし汁、夕ご飯は魚だったかなあ。

このあたりはうにが名産で、祖父は公務員を定年で辞めたあとうに漁を手伝っていたんで、毎朝大量にうにを持って帰ってきてたんですね。だいたい、10リットルバケツに半分くらい。バフンウニは出荷するのか、ムラサキウニが多かったかな。美味しかったなー



26_01_06.jpg


ストリートビューからはよく見えないけれど、集落の背後の山には寺があってお盆の時期には墓参りで賑わっていました。祖母が人から借りて畑作をやっていた畑もその山にあって、必ずトウモロコシの収穫を手伝ってました。家の庭にあった分も合わせてかなりの数のトウモロコシを収穫していたはずだけど、あれ、どう処理してたんだろう……仲間内で交換してたのかな?今や解らないけど。トウモロコシは山ほど茹でて毎日のおやつになってました。



……懐かしいなあ。
今行っても別にやることも行くところもないんだけど、それでもちょっと行ってみたいんだよねえ。。