組織的に言うと「抗議」が「反抗」と捉えられた日と言いますかね……まあそれはいいや、
「指示されたこと以上のことをやる気がないみたいだから、それに見合う地位に落とすわ」
そう言われた記念すべき日ですね。
僕の人生には誤解が繰り返し出てくるけど、これも誤解。
んでそのたびに僕が思うことは、僕を理解出来ない人はずっと出来ないから仕方ない。
言いたいことは他にもすげーたくさんあるのですけど、愚痴以上ではないから別にいいや。
将来見返すであろう自分に宛てて述べる一言は、
「今、どうやって食い扶持を稼いでいこうかわからなくて悩んでる」
いやでも逆に考えるんだ、何をしてもいい境遇になったんだと。毎月の家賃が払える範囲でという制限は付くけど、自分が「やりたいな」と思えた仕事に就くのはどうだろうか。飲食とかね、しんどいだろうけどもう一度きちんとやってみるべきでは。
自分一人生きられればいいわけではないから簡単ではないけれど、子どもがいない分少しだけ気楽かな。
僕は何をして生きていきたいんだろう。
いや、もっと率直に考えよう、生きていけるのであれば、何をしてたっていいんだ。
少しね、楽になったのです。先行きが不透明な会社の未来を、もう背負わなくていい。心配しなくていい。
こんな楽なことはないぜ。