最近読んでいる経済学101さんから。
世の中には、とりあえず聞いてみる人(Asker)と空気を読む人(Guesser)がいるという話。日本人には馴染み深い話題だ。
This column will change your life: Are you an Asker or a Guesser?
あー。
日本人同士で「お前は『聞いてみる』だな」「そういうお前は『空気読む』だな」なんて言い合ってても多分五十歩百歩な話なんでしょうけども、それでもやっぱ違いみたいなのはあって。僕はどちらかというと、「ダメ元で何でも聞いてみる」って言うのはちょっと苦手。
だから、この下りは凄く解る。
An Asker won’t think it’s rude to request two weeks in your spare room, but a Guess culture person will hear it as presumptuous and resent the agony involved in saying no.
例えばとりあえず言ってみる文化の人は二週間泊めてくれと平気で頼んでくる。聞いている本人は別に断られても何とも思わないのだが、空気を読むのが普通の人はこれを遠慮が無いと感じつつ、断ることに苦痛を感じる。
聞いてる人は即答で「ノー」と答えられても気にせず、「何日なら大丈夫?」「いつなら大丈夫?」なんつってなるんだけど、聞かれたこっちはそれなりにどう答えるべきか、答えたらどうなるか、一生懸命考えるんで考えたあげくの「ノー」へのリアクションが軽くて盛大に肩すかし食ったりとか。
あ、大阪人の値切りとかもそうかな。
最近は電器屋も平準化してきて値札そのものが特価で、関東人が言うほどは値引き交渉を目にすることはなくなったように思うのだけど、それでもやっぱり「ダメ元で言ってみる」人ってのは結構いるような。「これ、もうちょっと安くならない?」とか「これつけてよ」とかそういうの。京都住んで14年だけど、これは死ぬまで身につかないね。苦手だわー
「聞いてみる人」としては、断られることに対する耐性の低さみたいのもあるんだよね。断られたくないなぁと思うと、つい断られる可能性の低い方に行きがちって言うか。「まず自分で聞いていくようにしたら?」というアドバイスは解るんだけれども、そう簡単に考え方って変えられないよね…
もういっこ日本人らしいところ
こういうのを日常生活で感じたときに「合わない」「厚かましい人」などの評価になること、かな。いや合わなくて揉め事見たいのは世界中どこでもあると思うけど、人間性が安定している国民だからなのか、考え方の違いではなく、良し悪しという表現になりがち。本当は良いとか悪いとかじゃなくて平均からの距離の問題だろうとは思うんだけれども。だからか、なんとなく「聞いてみる人」と「空気を読む人」がそれぞれマイペースで共存するみたいなのはあんまりないような。組織でも「うちはこうだから」とかなりがちだけど、ホントは両方いて上手くやれるのがそれぞれ使いどころがあって、一番便利なんじゃないのかなーと思うんだけどね。