というのも上司が、
英単語のカタカナ表記は基本的にナカグロ(・)を使用することにしよう
と提案したから。
確かに言語としての一般論として考えれば、スペースで区切られている英単語をカタカナ表記した場合には、そのスペースをナカグロで置き換えることは理にかなってはいるだろうとは思います。でも実際に文章として記述する場合、その論理に世の中が従っているとはとうてい思えません。
ナカグロと聞いてもあまり実感がわかないかも知れませんが、世の中には、「ホームページ」や「スポーツニュース」「メールアドレス」など、ナカグロを使用しない表記が溢れているわけです。例え「スペースをナカグロに置き換える」という論理が論理としてケチの付けようのないものであっても、そんな不自然な日本語をなぜ敢えて選ばなければいけないのか全く理解できませんでした。
ただ確かに…様々な技術文書を読んでみると、我々技術者はあまりナカグロを好んでいないようです。今手元にある「WEB+DB vol.55」を眺めてみても、表紙には「ウォーターフォール」「マルチコア」「モダンネットワーク」「サーバサイド」とありますし、中身でも「ソフトウェアライフサイクル」「ドキュメントフォーマット」「コミットメントライン」など、一続きとなった長いカタカナ表記が溢れています。ナカグロが完全に使われていないわけではないのですが、あくまでナカグロの前後で別の意味を持ちかつ句読点で区切るほどではない場合に限られ(「デメリット・メリット」「要件定義・設計・実装・テスト」など)ナカグロの妥当性はともかくとしても、視認性としてはちょっとやりすぎではないかと思わざるを得ません。
しかし実際の用途を想定してみれば、「解りづらい単語」にナカグロを打つことはあるけれども、ほとんどの場合は慣例に基づいて有る無しが判断されているようにも思えます(技術書の表記もその慣例の一部だと感じます)。
上司としては、最近また何か本を読んだのか、それでもあくまで新聞社やNHKを中心とした出版業界が守る「正しい日本語表記」を主張したいらしく、技術書の表記がそのようなのは「理系が書いているから」というのですが、仕様定義に厳しい理系に対してそれは少々浅はかな暴言ではないかと思いつつも、それならば新聞のWEB版において、新聞社の記者がどのような表記を行っているか見てみようではないですかと言うことになりました。
上司の一押しの新聞は日本経済新聞であるようなので、日本経済新聞のWEBサイトである日経ネットを題材に調べてみます。
NIKKEI NET(日経ネット):日経の最新ニュースを速報
画像は執筆時点(2010/03/16 01:45)でのトップページです(クリックで原寸大)。この中から広告を除いてカタカナ表記となっている文字列を拾っていくと以下のようになります(固有名詞も含む)。
ナカグロが使用されているカタカナ表記
- ムーディーズ・インベスターズ・サービス
- ニュース・クローズアップ
- フォーミュラ・ワン
- シー・シェパード
- ルーシー・リー展
- メルセデス・ベンツ
ナカグロが使用されていないカタカナ表記
- ネットナビ
- ニュースランキング
- レストランガイド
- モータースポーツ
- プレゼントキャンペーン
- プラグインハイブリッド車
- キャリアカレッジ
- スポーツニュース一覧
- ハッピーダイニング
- 生活サポートサイト
- トーナメントモード
- ラヴストーリー
- ビジネスパーソン
- デジタルメディア
- ビジネススクール
単語の連続か微妙なカタカナ表記
- タカラトミーアーツ
- クロマグロ
念のため、記事も見ておきます。
この時点でのTOP6の記事内容からの抽出は以下のようになります。
ナカグロが使用されているカタカナ表記
- ムーディーズ・インベスターズ・サービス
- フォーミュラ・ワン
- フォーミュラ・ニッポン
- ドルー・ファウスト
ナカグロが使用されていないカタカナ表記
- ヘッジファンド
- モータースポーツ
- 富士スピードウェイ
- OSIファーマシューティカルズ
加えて、以下も引用しておきます。
論文記述に関する指導とWikipediaのルールです。
中黒(なかぐろ)・中点(なかてん)
中黒は文中で使用する句切り符号の一つですが、読点よりも機能がやや狭く、使用場所は名詞と名詞の間に限られます。ただし下の列挙の用法では中黒の使用は控え、読点を使用するべきだという意見もよく聞かれます。
同格の名詞を列挙する
並列の名詞を並べ立てるときに使用します。また読点と組み合わせることによって、複数の並列要素をひとまとまりにして、より大きな並列関係のなかに位置づけることがあります。
イネ・ムギ・ブナ・アカマツ
音声・画像・映像によるマルチメディア教材の開発
小学校英語教育の実施に関しては,その目的・目標,カリキュラム,評価方法,動機付けなど,さまざまな問題点を検討する必要がある。
カタカナ語の意味の切れ目を示す(固有名詞も含む)
ビクトリア・アンド・アルバート博物館
ナーサリー・ライム
ブリティッシュ・カウンシル
ジョージ・ブッシュ
縦書きで小数点の代わりに使用する
五〇・三メートル
中黒 [編集]
「・」を中黒または中点といいます。
* 単語や語句の羅列の区切りには中黒を使います。
例: 過去・現在・未来
* 外来語の単語の区切りには中黒を使います。
例: ウィンストン・チャーチル
* 外来語の羅列で中黒では区別が難しい場合には、助詞や読点を使います。
例: ウィンストン・チャーチルとフランクリン・ルーズベルト
論文の方ではナカグロを薦めているように読めますが、Wikipediaではこの段落のあと「クォーテーションマーク」と言う記述があり、英単語としての文字区切りとナカグロの使用とは直接的に結びついているわけではないように見えます(なお、ノートにて「外来語の単語の区切りには中黒を使います。区切るかどうかはその外来語の慣例に従ってください。」への改訂提案が行われています)。
技術文書で言うとSun Microsystemsのマニュアル記述の仕様ではこうなっています。
(引用は別文書ですが、仕様自体はPDFでこちらにあります)
中黒「・」の使い方
カタカナを並べる場合には、用語集などで特に指定しないかぎり、中黒「・」は使用しません。カタカナ語が長くなり過ぎて意味がわかりにくくなる場合は、「の」で区切るなどの工夫をしてください。
さすがに明快です。
最後に、辞書を引きましょう。
1 記号活字の「・」。縦書きの小数点、同種のものの並列の区切りなどに用いる。中点(なかてん)。
[1] 単語を並列するときの区切りなどに用いる記号。「・」のこと。黒丸。
外来語の区切り [編集]
外来熟語の単語の区切りに使う。通常略しうるが、姓名など人名の区切りを略すことは少ない。
* パーソナル・コンピュータ / パーソナルコンピュータ
* トム・クルーズ
* トーマス・アルバ・エジソン
ただし、姓が複数語からなる場合は中黒を略せる。ハイフンの代わりに使うこともある。
* ダ・ビンチ / ダビンチ (da Vinci)
* キャヴァリエ・スミス / キャヴァリエスミス / キャヴァリエ‐スミス (Cavalier-Smith)
辞書では「単語の並列に使用」、Wikipediaでは「通常略しうるが、姓名など人名の区切りを略すことは少ない」という記述になっています。
まとめ
まず言えることは、新聞のルールは「英単語の区切りスペースを中黒に置き換える」ではない、ということです。抜粋した単語群から見えることは、中黒を使用しない表記が非常に多いということ。また、中黒を使用する表記では固有名詞が圧倒的に多いということです。汎用的に使用される単語(例えば「プレゼントキャンペーン」)では、基本的に省略されています。また辞書を参考にする限りにおいては、ナカグロの役割とは本来前後の単語を並列に並べることであって、ナカグロで繋ぐことにより1つの単語を生み出すことではないようです。もちろん「単語の並列とそれが結果1つの意味を生み出すこととに差異はない」という論理も生み出し得ますが、通常考えるに、いくつかの事柄を例示する際に使われるのが妥当ではないでしょうか。
また、技術文書にナカグロが使用されないことについては、「理系で日本語が不自由であるから」ということではなく、そのような文化であるというのがしっくり来るように思います。(理由については、半角ナカグロにまつわるやっかいごと位しか思いつきませんが、なにか理由があるんでしょうか?)
以上を考えて、
人名やそれを含む固有名詞など、一部ナカグロを使用すべき単語はあるものの、一般的には慣例によるもしくは使用しないとなっている
というあたりを個人的な結論にしたいと思います。
よし、次の機会に交渉だ。
ちなみに
Wikipediaのノートで発見したこちらの文章、論拠がありながら柔軟性もあり、かなり参考になります。第4部補足 用字用語の考え方と事例-複合語のわかち書きの扱い方
抜粋します。
「外来語の表記」(平成3年 内閣告示第二号)では,以下のように原則を示しています.つまり,「慣用による」ということです.
技術文書で外来語をカタカナ書きする際には,わかち書きの代用として「・」を使う必要はありません.また,半角空けたり,ハイフン(-)をいれる必要もないと思います.
中点を使うと,その語が用語として成熟していないあるいは中点が特別な意味をもっているような印象につながります.
複合語には,名詞と前置詞を組み合わせた語があります.そのような場合には中点を使うのが適切ですが,例外と理解してください.
わかち書きの代用に中点を使うのは,「語が長くなると読みづらくなるため区切りとして使いたい」というのが理由だと思います.機器,システムあるいは機能の名称に中点を付けすぎても読者に不自然な印象を与えてしまいます.一息で読める語ならば少々長く(15字程度)ても読者は理解できます.中点を使わない原則を勧めます.
- graphical user interfaceをカタカナ書きすると「グラフィカルユーザインタフェース」になり,「グラフィカル・ユーザ・インタフェース」にしたくなるのは理解できます.しかし,これを原則にしてしまうと外来語のカタカナ表記は中点だらけになってしまいます.
基本的に技術文書向けの提案なので、今回の話でいうとあまり論拠になり得ないのですが、「用語として成熟していないあるいは中点が特別な意味をもっているような印象」「機能の名称に中点を付けすぎても読者に不自然な印象を与えてしまいます」あたりは、感覚として凄く納得の出来るものでした。
「オンライン・ショップ」はまだしも、「メール・アドレス」「メール・マガジン」なんて見たことないし、ださいよねぇ…
追記(2010/03/17 00:52)
ナカグロの運用に関する資料の追加です。■パソコンで入力できる約物(1)――ことばと文字にかかわるおぼえがき
こちらのサイトで、新聞記者のため用語集であり毎日新聞の運用を記したと推測できる「改訂新版 毎日新聞用語集」からの引用がありました。以下、引用部分を含む抜粋です。
問題になるのは、外国語の語をくぎるときでしょう。語のくぎりにすべてナカグロを入れるのかどうか。「mail server」を「メール・サーバー」とするのか「メールサーバー」とするのか、という問題です。
この点について、『改訂新版 毎日新聞用語集』では、次のように指摘しています(445ページ)。「例外的に使う」わけですから、外国語の語のくぎりすべてにナカグロを入れる必要はない、ということですね。
- 「外国人名の姓、名、称号などを区切るときに使う」
- 例……サー・ウィンストン・チャーチル
- 「外来語、外国地名に例外的に使う」
- 例……ケース・バイ・ケース、ジェノバ・サミット、ニクソン・ショック
また、筆者の考えとして以下のような提案も行われています。
ただ、現実には、ナカグロを入れるのか入れないのか、迷ってしまうことばもあるでしょう。そんなときは、とすればいいでしょう。さきほどの「mail server」でいえば、私は「メールサーバー」でいいと考えています。さらにいえば、「アウトルックエクスプレス」「インターネットエクスプローラー」でいいわけです。
- ひとまとまりのことばとして意識できるような場合は、ナカグロを入れない
- バラバラのことばとして意識してしまうような場合は、ナカグロを入れる
結局は慣用性と感覚の問題なのですが、実際の新聞紙面上の運用もそうであることを考えるとこのあたりが落としどころなのかもなと思います。
あと、この本も参考になりそう。
専門学校としての「日本エディタースクール」はともかくとして、出版物はしっかりしているというのが定評っぽい。中黒について記述があるかは解らないけど、それほど高価な書籍でもないし買っておいても良いかな。