友達のエントリから。
最近よく「円高」と言われている。ちょっと前まで1ドル110円とかだったのが、いつの間にか90円を切ったり。そしてここ数日間で7円ほど円安方向に振れて今現在1ドル96円ほど。ここでちょっと疑問がわいて来る。「お金って何なんだろう?」と。
(中略)
もしも、1ドル89円の時にドルを買って1ドル96円の時に円に戻せば、ちょっと嬉しいお小遣いになる(ややこしいので手数料やスプレッドは考えない)。知らない間に実は貯金が増えたり減ったりしていることになる。こう改めて考えてみると、一体お金って何なんだろうなぁと思う。つまり「絶対的に価値の変わらない物は無い」ということなのだろうか。
この場合の「価値」というのは根本的に相対的なものなんだと思うね。
「価値」っていう単語にはいろいろな意味があると思うけど、
この場合に限っては、他人と交換することを前提に設置されたもので、
変わっていくことが最初から織り込み済みの概念。
それは何も為替に限らず、世間一般でごく自然に受け入れられていて、
新しい型の商品が出たら古い型の商品の価値は下がるし、
より性能の良い製品が出れば、どんなに良い製品でも価値は下がるわけで。
バーゲンやセールも同じ理屈。
結局、交換を前提として設定された「価値」というものは、
極めて相対的なものであって、それそのものの質が占める割合はそれほど大きくない。
(正確にはそれそのものの質も相対的に決まっている)
それは通貨であっても同じことで、例えばドルに対して円高になっているとき、
単純に円の価値が上がったわけではなくて、
円は変わらないけど相対的にマシってだけのこともあって、
自分の財産が目減りしないように考えるときに、
ドルで持つのは微妙だけどユーロで持つのよりはマシみたいな話。
結果とそのものの価値とは、関係があるときもあるし、無いときもあるっていう。
よくもまぁこんな大規模ギャンブルみたいな仕組みを考えたもんだと思う。
ぶっちゃけ、年に何回か集まってレート決めた方が良いんじゃないのとも思うけど、
でももしそれやろうとすると、それを決めるためのデータは相場ってことなんで、
結局データが揃わなくて話がまとまらないって言う。
しょうがないのかなーもうちょっと通貨バスケット制が増えても良いと思うんだけど。
でまぁ、じゃあ価値なんか意味無いのって話なんだけど、
そうじゃないよね。金に換えれるものだけが価値じゃないのを僕らは知ってるわけで、
そういう価値の基準ってなんなんだろうと考えてみると要するに自分だよね。
自分と対象物との距離感。
それも結局は相対的なものではあるんだけど、
自分が変わらない限りその価値は損なわれないし、
自分が変わって価値を失ったんであれば、顧みる必要はないし、
そういう意味で相対的でありかつ絶対的でもあるっていうか。
そんな中では自分が変わらない限り、価値はそう変わらないんじゃないかな。
今後仮に、円が対ドル200円まで暴落したとしても、
僕愛用の中華鍋の価値は、僕の中ではびた一文下がらない。
それをいざ他人に売ろうと考えるとなると、当然、
そこでは価値は暴落しているわけだけど、この2つは特に矛盾してないよね。
(相対的な価値=自分の価値という生き方でない限り)
完全に相対的で自分でどうしようもないものの価値については、
流れに任せるしかないかなーと自分では思ってる。
途中で懸命に抗うことはあったとしても、結論に対しては。
でも、自分のための価値を持つものについては、
油断して取り落としてしまわないようにしたいと思ってるし、
自分の不意の心変わりが起こらないように祈ってる。
それくらいしかできないけど、まぁそんな程度で良いんじゃないかな。