プログラミングから受けた影響。


田口さんのこちらのエントリからインスパイア。

「プログラミングは小学校の必修科目にすべき!」と個人的に思っていますが、プログラミングからは本当に多くのことを学んでいます。

先日、プログラミングって人生だよね的な話題がもりあがったので、自分がプログラミングをやっていて良かったなぁ、と思えることをまとめてみます。
 


あんまりポジティブに書きすぎると、それが本当にプログラミングのおかげなのか
(他の職業でも共通してんじゃない?)っていう疑念が沸いてしまうんだけど、
まぁでも、田口さんが書かれてることは分からんでもないな、と思う。
他でも同じような結論に至るかもしれないけれども、確かに結果としてこうなれる。


この中で僕にとっては、次の2点が一番共感できるな。

  1. 問題の切り出しがうまくなる
  2. 過去の自分は別人!(=人間は進化する!)


問題の切り出しについては、普段は意識しないけれども、
何か問題が起きたときの対処の仕方をプログラマとそうでない人と比べてみてみると、
よく分かる気がする。

これはきっとそれだけプログラムが複雑かつ精緻な構造で、
問題点をきっちり特定しないと上手く行かない可能性が高いこと、
問題が切り分けやすく特定しやすいことが要因としてあげられると思う。
現実社会の問題においては、そんなに簡単に切り分けられないし、問題点もあやふやで、
しかもそれで見た目上手く回ってたりすることも多々あるわけなので。
(最後の所についてはプログラムでもあるけどね…汗)

でも逆に言えばそういう切り分けにくい状況にあることで、
問題を切り分けることなんて出来ない、問題を切り分ける必要はない、と思っていることが、
問題を切り分けようとしない原因なのだろうとも思う。
その点プログラマは、普段しているような“安易さで”問題を切り分けようとする。
結果上手く行くこともあればそうでないこともあるけど、
切り分けようとすることで、どこなら切れるかっていう見極めは少なくとも付くし、
解決のための道筋も、例え朧気でも見えてくる。

そうしてみると何のことはないただの『問題解決に向けた論理的思考』でしかないんだけど、
でもそういう思考法を持てるか持てないかは、
問題解決に当たったときの引き出しになるよねっていう。
それは、うん、実感する。



もうひとつの、『過去の自分は別人』というやつは…
なんだろうなー。

僕はですね、昔のプログラムを引っ張り出すたびに赤面するわけですよ(苦笑)
そりゃお前の腕が悪いだけだろってそりゃそうなんだけど、
『リファクタリング症候群』ってやつです。
今の流儀がそのときの流儀に合わないというか、なんだこれ的な。
確かに自分の成長の証でもあるんだけど…やっぱり恥ずかしい。ホントに晒すって感じ。

こういう感覚は、多分長いことブログ書いてる人にもあるんじゃないかなーと思う。
このブログには僕がブログを始める前からの7年ちょっと分のテキストがあるんだけど、
正直、初期のテキストは読めないのが多い。。
いやことによると、1年前のテキストでも独りよがりすぎて読むのがつらいのがあるんだけどさ。

きっと他の職業の人にだって同じ感覚はあるだろうけど、
プログラマ、ブロガーと違うのはそれがハッキリした形で残ってることが少ないってことかな。
(アーティストの人なんかはあるだろうね)

こういうのはホントに恥ずかしいなぁと思うけど、でもね、削除しない(できない)所を見ると、
やっぱり僕もそれをベースとして意識してるんだろうなと。
いつぞやみたいにそこを真正面から批判されても正直僕には答えようがないけどね。



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プログラミングってのは、面白いなーといつも思います。
でもまぁ、一個だけ思うのは、

は結構だけれども、そこから要素を『切り分け』た上で、
それを他の“教育”にも応用できないかと考えた方が現実的だし受け入れられやすいでしょうね。
プログラミングを教育に活かす手段は、それをやらせることだけじゃないんじゃないかな。


興味を抱けない子供にも、きちんとプログラミングの良さを供与できるような、
そういう教育を『設計』できてこそ、プログラマの教育と言えるんだと思いますよ。
タメになると説得してやらせることになっては、旧態依然、ですしね。