必死で何かをやってるときに下りてくる確率は…

最近、朝、もしくは夜に走ってるわけですが。

不思議ですね、
普段、一生懸命考えてても分からないようなことが、
何の意識もしてない、しかも、多少いつもよりしんどくて余裕のない時に、
ふと、思いついちゃうってんだから。


必死で何かをやるのはいいんだけど、
その必死に何かをやるための、『種』の部分は、
その必死に何かをやってるときよりも、
むしろそれ以外の時に発見されることが多いような。

あ、どちらでないとダメ、という話ではなく、
どちらの方が、発見しやすいか、という確率の話ね。

渦中にいるときよりも、その外側にいるときの方が、
有効な何かに気付く確率が高いんじゃねーか、と。
まぁ、改めて書くまでもなく、
多くの人が、体感してることだろうとは思いますが、
同様に、自分が渦中にいるという認識に関しては、
案外、上手に掴むのは難しいので。


走ることに話を戻すと、
走ってる間に、画期的な走り方のアイディアが浮かぶ…ってのはまぁ殆ど無い。
てか、走ること自体に関して言うと、それどころじゃない(笑)
大体、家帰って、風呂入ってるときとか、
仕事終わって家に帰る途中とか、全然関係ないときに、
走ることに関するなにがしかのアイディアが浮かぶことの方が多いかなぁ。

じゃあ、走る間にどんなことが思い浮かぶ買って言うと、
例えば、暫く考えていた、ある発言に対する自分の違和感が明らかになったり、
そういえば、あれってこうだよなーってことは、こうも考えられるよな?っていう分析の糸口だったり、
もしかして、あれってこうなんじゃないか?っていうひらめきだったり、
いやもちろん、もっと下らないこと、
そういえば、稲垣潤一っていたよな…とかだったり。

もういろいろなわけだけど、
こうなんていうか、それだけ走ることが非日常というか。
例えそれが習慣であっても、
少なくとも、日常の中心からは、少し離れたところにあって、
その辺から見える色んなことがあるってことなのかもなー。


で、一番の問題は。

走ってる間に色んなことを思いつくんだけど、
当たり前だが、
メモ帳もペンもレコーダーも携帯電話すらないんで、
何を思いついても、その半分くらいは、
走り終わった後の爽快感と一緒にどっかいっちゃうってこと。
何かを思いついた、ってことは覚えてるんだけどな…

なんか良い手無いかなぁ…