藤代さん(ガ島通信)が指摘されているとおり、
mixiというのは、『内』に上手く見せかけられた、『外』の世界なのだろうと思う。
自分のmixiに対するスタンスは、
『友達の動静を把握しやすい』
ということ。
でもそれは、もし友達みんなが理解してるなら、
ブログ+RSSで十分に代用できるようなことです。
先日、TVの特集でちらっと見かけた、SNSの社会でのあり方、を見ると、
SNSによって、日常生活の様々なこと(例えば育児)に関して繋がりを持ったり、
それをビジネスに役立てたり(個人の繋がりから仕事を発注、受注したり)、
というようなことが実際に行われているらしい。
とりたてて、反対意見もなく、そう言う使い方をするのも、いいかもね、と思う。
自分はしないけど。
『なんて言うんですか、下町の長屋のような…』
なんていう言い方をしていた人もいたけれども…
日本人はみな、誰かとコミュニケーションを取りたくてうずうずしてるらしい。
寂しくて仕方がないの、誰か側にいて、
という人間であふれかえっている。
僕の考えるコミュニケーションはそういうことでは無いんだけれども、
無理でも何でも、とにかくラインを貼って、誰かと繋がってたい、
そういう活動をコミュニケーションと呼ぶ人も多いみたい。
結局のところ、そこに自分の望む繋がりがあるということなのだよね。
どんなに騒いでも、本当にがっちり繋がってる人は、
mixiの何百万人の中でも、ホントに少しだと思う。
まぁーそうだな、10人に1人くらいいれば、という。
それでも、そういう人にとっては、集う場所があれば、そこに集う人がすべてなわけで、
自分自身の話題という点で、『内』になる。
これって、実は、2ちゃんねるの構造にも似てるんだけどね。
僕自身は、mixiに参加して以来、
自分の中でのmixi日記の位置づけを何度か変えた。
最初は、サイトのmixi出張版のつもりで、
更新は自分のサイトで行って、そこに飛ばす形式にしてみた。
でもこれには大きな違いがあることに気がついた。
普通にmixi日記として書くとコメントが付きやすいのに、
飛んだ先ってのはなかなかコメントを付けづらいってことだ。
僕だって多くの人にコメントをもらった方が嬉しいし、
一応リアルも知ってるような人と、コメントを交わすのは楽しい。
そういうわけで、mixi内は、サイトとは別のもの、と言うスタンスを取ることにし、
たまにリンクは貼るものの、mixi向けの日記を書くことにしてみた。
で、先日、ブルー入っていた…わけではないんだけど、
ちょっと疲れてて、考え込むような件があって、
まぁ、ここは内輪だし、見る人も限られてるし、多少ブルーでも良いだろう、
と思って、思いつくままに心情を吐露してみたところ、
どうもリアクションが、意図とずれたものが多くて。
こちらが思うよりも、ずっと重症に感じられたらしい。
慌てて言い訳して、削除してサイトの方へ移動した。
恐らく…mixiで感じる距離は少し近すぎるんじゃないかと思う。
隣にいる友達が、ブルーな独り言を言い始めたら、
『ど、どうしたん?』て思うけど、
たまたま訪れたサイトに書いてあっても、そこまでは思わない…よね。
mixi日記は、ブログよりも若干、IM寄りなのかなぁ、と思ってみたり。
なんか話がずれつつあるけど、要は、mixiは、内輪として振る舞うことを前提、
もう少し言うと、暗黙の了解として成立している世界なのだと思う。
実際には薄々感づいていながらも、いや、内輪だから、とみんなが思い直して、
日々過ごしているような世界。
そういう状況というのは、日常あまりに多くあるから…
戦争に向かう国内だったり…
終わりに近づいている恋愛であったり…
あるとき、誰かがはっと気付いても、それはなかなか伝染しない。
行くところまで行ってしまうのではないか。
…っと、言いたいことがだいぶずれた。
つまり、まとめると、
・mixiが内輪だってのは幻想。ただし、重要な要素。
・参加者に『外である』という意識が希薄な以上、外と同じ意識でも十分でない。
・繋がりを求める現代人にぴったり(最近携帯にもそんな感じを持っているが)
・僕には、必要以上に繋がりを求めるのに必死な人たちを理解できない。
(mixi経由で得られる友達の友達的繋がりは本当に嬉しいんだけど、それ以上はね)
・そー言いながらも、結構楽しんでる。
マスコミで取り上げられるのがうざいけどなー正直。