Educational Background

『学歴』という言葉がある、まぁ、あんまり好意的には使われないけど。
僕の学歴は尻切れトンボで誇れたもんではないが、
例えば大学受験に対して費やしたエネルギーというのは誇ってもいいかな、と。
よくね、学校での勉強がなんの役に立つんだ、って
青臭いセリフの代名詞だけど、そりゃあ役に立たないよ。立つわけねぇ。
知識としては、将来の可能性を見せるために広く浅くというのが学校教育における知識なわけだし
自分に関係ない部分がたくさんあるのはいたしかたあるまい。
しかし、だ。なんだろうな、勉強ってのはすること自体が既に目的であるわけで。
そこで、効率的な頭の使い方や、目標の立て方を学ぶ、
勉強ってのはある程度才能なんだよな、
論理的思考の才能、努力の才能、人の支援を得られる才能、
だから、それなりの場所にはそれなりの頭を持った人間が揃いやすい、
よく、いくら学歴が高くったって頭が悪いヤツはだめだ…何て事を言いますね。
そりゃそうですよ、頭の良い悪いは、知識のあるなしじゃあないからね。
でも、それは比率の問題、学歴が無くても頭が切れる人を僕はたくさん知ってるし、
学歴が高いけど頭の切れない人、切れるのに使い方間違ってる人、
そんな人も僕はたくさん知ってる、
でも、会話してみると分かるけど、一流大学(たとえば東大・京大)の
頭が切れるやつの比率は、世間一般より高い、それは間違いない。
そういう空気に混ざって自分の頭の悪さを自覚できないヤツも中にはいるけれども
まぁ、平均でみれば、いいと思いますよ。
ブーイングを承知で言えば、『勉強ばっかりしてきたヤツは頭悪い』なんて言う言葉は、
頭悪い人のやっかみでしかないわけで。
学歴に固執してるという点では、ひけらかす輩とさして差はないわけで。

んじゃ、なんで評価が実際と異なるかって言えば、
ひとつは前述したやっかみ、もう一つは期待と印象の差、かな。
学歴って言うのは要するにアレだ、指標、ブランド、ここ産だから多分美味いに違いない、
そんなことのために使われる、
でも、たとえば選挙とか、芸能界とか、そういうことがすべての世界もある、
普通のビジネスだって、実際にビジネスとして関わる前、
つまりお見合いで言えば写真が送られてきてお母さんに見せられてる段階で、
完全アウトな人はそこでお断り、良くても、マイナス思考でお見合いに臨む、みたいな感じはある、
もちろん逆もあってノリノリで臨むこともあるでしょうな。
いずれにせよ、学歴ってのはそんなもんで、先入観の一部として使われるわけで、
マイナスを裏切られれば、大きなプラスに、
プラスを裏切られれば、大きなマイナスに。
特に日本がそうなのか知らないけど、世間一般的に、そうして、
良いものは過小評価を、悪いものは過大評価を与えられがちかな、なんて。
学歴主義はまぁ、本質をみていないという点で全く賛同できないけれども、
逆に言えば、勉強ができると言うことを才能としてとらえて、
そこから、本質的な部分を抜き出して評価するというようになれないのは何でですかね?
まぁいいけどさ。