『イベントとしてはいつ終わるかもしれんし、そんなに力入れすぎるのもね…』
とまぁ、かなり実験的意味、も持ちつつやってるイベント、SWITCH-OVER。
共同でオーガナイズしているサダ君とは、決して音楽趣味はかぶってない。
もし、僕がDJとしてやりたいポップなダンス路線で行くのなら、もっと他の人選もあったはず。
でもね、例え誰とやったって、『その時ハマってるもの』ってのはそれぞれあるわけ。
サダ君にしても。
SWITCH-OVERを始めた当初は、HIPHOPやHOUSEにもちょっと首を突っ込みつつ、
でも、自分はSOULが好きみたいな感じのDJだったんだけど、
それが段々、SOULや、JAZZに特化していったわけで。
多くの場合、音楽的嗜好が離れてしまえば、そこでチームは解散ということになる。
Djをしていない人には分かりづらいかもしれないけど、
音楽性の完全な一致は、すなわち、男女の、性格と体の一致ほどの快感をもたらすからだ。
それを得られないパートナー同士が、どのような道を選ぶことになるかは敢えて触れないが、
似たような状況はDJにだって十分に起こり得る。
では、SWITCH-OVERでは何故そのような状況が起こらないか?
それは、多分、ぱっと見、客を無視しいているかのようなイベントコンセプトにもあると思う。
要は…音楽なんか一つも聴いていなくても、DJが満足できる空間がそこにあるということなのだ。
ゲストで来てくれている人は、気にしているかもしれない、申し訳なく思う、
でもね、そうじゃないんだ。
僕は、完全なる、コミュニティの縮図をそこに描き出したい。
人は、いつも踊っているばかりなのだろうか?
人はいつも、テンション高く、拳を突き上げているのだろうか?
ご機嫌なイベントに居合わせると、ここに来てる奴らはみんな悩みなんか無い、そう思うけれど、
本当は、それを演じてるだけだ。
ここ、SWITCH-OVERでは、別に、盛り上がらなくったって良いんだ。
音楽を、軽視しているわけではない。
非常に逆説的だが、ダンス・ミュージックは、踊るためだけに存在しているわけではない。
生活を、踊る時間と、そうでない時間とに分けたとする。
非常に、非現実的な分け方だが、しかし、その2つは互いに影響しあう。
踊らない時間は、踊る時間を示唆し続ける。
踊るべき音楽を耳にしながら、人生相談に耳を傾けるとき、
僕の心には、いくつかの想いが去来する。
それは必ず、相手に伝染するし、
『踊る』というパフォーマンスに頼らなくても、何らかの作用を人に及ぼす。
音楽というのは、多分、そういうものだ。
このイベントにおいては、DJも一人の客でしかない。
だから、客が飛び入りでDJをつとめるという事態も起こり得るし、
それはすなわち、その人間が今はこういう心情なんだ、とアピールすることでもある。
(決して、DJの練習ではない…その人間の音楽をあからさまにすることなのだ)
僕らは、会話を交わす人同士、
ただ居合わせた人同士、なんらかの意識を共有する。
僕らの選んだ音楽をベースにして、そこに何らかの関係性が生まれれば、こんなに嬉しいことはない。
正確に言えば、DJイベントではない。
Daniel Wang がブースから叫んでいたセリフをどれだけの人間が聴いたか知らないが、
DJは神ではない、真にリスペクトすべきは、隣にいる誰か、であり、
その時そこにある音楽そのものに対して、だ。
僕のイベント・パートナーは、僕より、実年齢も精神年齢も若干若く、
僕の思うこと全ては、理解できないかもしれない。
しかし、それでも、彼は、空気を楽しめる人間であるし、
だからこそ僕は、2年近くもの間、WELLER’S CLUB というMOD’Sなバーでイベントを行ってきた。
それは今も変わらない。
SWITCH-OVER、今日と明日を繋ぐ地点。
明日は今日の延長ではないし、今日は昨日の延長ではない。
明日はまた、今日と違う日が始まり、
僕は、そこでそれを強く意識する。
なにやらよくわからないが、そこにある空気は楽しめるモノのようだ、
そんな空気を感じたとき、
僕は、ブースのこちらで、こっそり、微笑む。
SWITCH-OVER。