コミュニケーションを僕が語ると言うこと。

今さら繰り返す必要もないかもしれないが、
『コミュニケーション』ということが、ここ数年僕の中の重要なテーマのひとつになっている。
きちんとコミュニケーション『出来る』『出来ない』、
出来ない人とはどんな人か、
コミュニケーションを成立させるのに自分がどんなアプローチをすればいいか、
そんなことだ。

しかし、ふと、こんな疑問を持ってしまった。
MUTTERでコミュニケーションについて語ることは、正しいのだろうか?

つまり、このサイトというのは…付くコメントの数の少なさでも分かるとおり、
根本的に読者とコミュニケーションを取る『意志』がない。
いや、筆者本人(オレだ)は、
何らかのリアクションが欲しいと思ってもいるのだけど、現実的には難しい。
あらゆる読者に対して書かれている一方で、あらゆる読者から遠い。
『読み物』と評されるのも分かる気がする。
読むことで、全てが完結してしまう。

そんな独断的サイトを運営する人間が、
コミュニケーションを語っていていいのだろうか、と思ったのだ。
果たして、説得力があるんだろうか?

ただ、僕は知っている、
コミュニケーションを取ろうとしないのは僕ではなく、このサイトだ、ということを。
これは何度か言っていることだが…
このサイトってのは、あくまで僕が生きている『影』に過ぎない。
カタツムリで言うと、カタツムリが這っていった葉に残る、透明な液体だ。
カタツムリはそこにはいないし、僕は僕でリアルで生きている、
コミュニケーションについて語るときの『コミュニケーション』は、
必ずしも抽象的な、不特定多数相手ではなく、あくまで、
具体的な誰か、とのことであるわけで。
そのときどう思ったか、を文章としてサイトに投影しているだけだ。
(そしてその特殊な状況に普遍性を持たせようとしている)

それを不特定多数の読者が理解できなくてもそれは、
そのときそこにいなかったんだから仕方がないよな。
と、自分に言い訳している次第である。
(よくよく考えると、1対不特定多数というコミュニケーションは成り立つのだろうか?という疑問もある)

少し、考えすぎだろうか?

(文章の意図が自分の意図とかけ離れていると思われたので、改訂しました。)