悪い空気は感染する。

沈んだ、悪い空気(病名とは関係ないが仮に鬱と呼んでも良い)というのは、
周囲に感染しようとする。
本人に意思が無くても、周りはそれを感じるし、
周囲の誰かが感染するたびに、相乗効果で空気は『濁り』を維持する。

それを打破するためには、どこかで打ち切らなくてはならない。
拡散し続ける空気に感染することなく、希釈する。
そうした友人や、環境を持つことが重要だ。
無理矢理、盛り上げたり、元気なフリをすることには何の意味もないし、
正直、疲れるだけだ。
けれど、逆説的だが、悩みは悩んでも解決しない。
悪い空気は、それ自身だけでは自らを浄化させることは出来ない。
必要なのは、能動的にせよ、受動的にせよ、その感染を押さえ込むことだ。
そうすれば、周囲に濁った空気の発生源を作ることなく、
空気は徐々に拡散し、希薄になっていく。

悩みは、自分が何かをしたとき、
または、何かが突然どこかからやってきたときに解決するのであって
悩むことはそれまでの猶予でしかない。
…といっても、『悩まない』というのはなかなか出来ないけどね。
ただ、悩むことに悩む必要はない、と。
悩んでいる人の心的構造は、得てして、悩むことに悩み、
循環的に、環境として、濁った空気に冒されている気がする。
もちろん、僕も。

せめて、感染症を拡散させないように。
他人を感染させて、自分の症状が軽くなったように感じても
それはいずれ自分に返ってきてしまうから。
目線を変えていこう。