尾形光琳

オリンピックの合間にNHKで放送されていた
NHKスペシャル「天才画家・光琳の国宝」。
そのまま流れてこれをじっくり見てしまった。

尾形光琳作の国宝、『紅梅白梅図』(熱海:MOA美術館)
恐らく、誰もが一度は見たことがあるだろうこの屏風、
どう見ても、金箔・銀箔を貼った屏風に
紅梅白梅が描かれている…のだけど、
科学技術などを駆使して分析した結果、これはそうではなく、
特殊な技法を用いて、描かれたものだった、というもの。

その手法が使われた理由のひとつは、
当時、『擬作』というそれっぽくモノを作る、それを楽しむという文化があったことと、
梅を描く際に使われた手法、『落とし込み』
(→水分を多く含ませた絵の具を紙の上で混ざり合わせ、水分が蒸発するに連れて生じる
混じり具合や、独特のボケ味を得る手法)が
もっとも効果的に見せられるのが、金箔ではなく、金泥を用いて塗る方法だった、
と言うことらしい(金箔は水分をはじくので、上手くいかないとのこと)

加えて、水の流れている部分は、
着物などで使われている『型』という手法を使って塗られたものだった。
光琳の実家が、京都の呉服屋だったこともあって、
京都の染師と型師の協力でそれが再現されていた。
あまりに見事な技術。

狙ったわけではなくて唐突に見てしまったテレビ番組だったけど
ひどく感銘を受けてしまった。
単純に、今まで箔だと思っていたものがそうではなかった…ということだけではなくて、
自分の梅を引き立たせるためにベストの手法を選ぶ姿勢や、
京都という文化を下敷きにした、見事な分業による作品、
科学技術によって光琳の意図を汲み取れたということ…

日本人なのに、日本文化を知らない、ということについて、
やはり僕は少しコンプレックスがある。
僕なんかよりよっぽど日本が好きで、文化に詳しい、そんな外国人はいっぱいいる。
僕らはそうした文化を素晴らしいと思っているのに、大事にはしていない。
京都人なのに京都を知らず、良さを知らない人が大勢いるのと同じ。
自分の、根っこ、なのにねぇ…同じ事は静岡に対しても言えるかもしれない。

本宮ひろ志の任侠漫画で、
『お前が根っこを無くした根無し草なら、どこへ行こうとだめだ』
『ここで生きていくなら、まずそれを大事にしろ』
というようなセリフ(多分実際とはかなり違うが)があって…
読んだ頃(多分10年くらい前かな)からずっと、心の中にある。
心の中に、引っかかってる、かな…


尾形光琳の画術の幅広さも、そうした支えがあったからこそのもの。
新鮮な驚きとともに、少しいろいろ考えさせられた。