ここを読む人が…
『このメッセージは私宛に違いない!』
と思うのは、まぁ、ある意味仕方のないことかな、と思う。
実際に、誰かを考えて書いてる場合もあるからさ。
でも、それと、
その“誰か”が読む人なのかどうか、ということは別。
もし、誰かが、僕が落ち込んでる文章を見て、
『もしかして、私のせい?』と、おろおろしたとする。
たぶん、君のせいじゃないから、
無駄におろおろさせて申し訳ない、
でも、それは、もう僕とは関係ないことなんだよね。
(何度か、言われたこともあるが)
僕はこのサイトに、自分を描き出そうとしてる。
だけど、逆説的だけど、
このサイトを覗いて僕を知ろうとするのは、多分、無理だ。
僕を知りたいなら、僕にコンタクトを取るしかない。
僕と、mutter は不可逆な関係であり、
僕から mutter は生み出されるが、
mutter から僕は生み出せない。
それは、mutter それぞれが、
違ったジグソーパズルのピースに過ぎないからだ。
僕をモデルにした、数多くのジグソーパズルがあり、
僕はその中の1ピースを、ランダムに選択しているに過ぎない。
それらを繋げたものから何が作り出されるか、
想像できなくはないだろう?
結局のところ、
実際の僕を間近で見ている、ごく一部の人間を除き、
mutter と読み手の関係は、
決して、僕と読み手の関係にはなり得ない。
あくまで、読む人間と、mutter の関係でしかなく、
読んで起こる感情は、
僕が読み手に起こさせたのではなくて、
mutter が起こさせた、擬人法を避けるなら、
読み手が、起こした感情だ。
人は1ピースからパズル全体を思い描く、
それは素晴らしい、想像力がなければ、
人間はプラスチックにさえ劣る、
だが、それは、僕ではない。
あなたの思う、僕だ、その僕相手に、
良いも悪いも、解るも解らないも、極論すれば、
好きも嫌いもない。
誰も考えたがらないが、
わかりやすいことだろう?