いつものバーに入る少し暗い階段を下る。狭いが、アンダーグラウンドを感じさせるものではない。
どう言ったらいいか…この先に漂う空気を得て、少しだけ色づいている。
彼女の、ハイヒールの甲高い音を耳にしながら、降りていく。
ありがちな、少し重い木のドアを開けると、いつものマスターが立っている。
いつも通り、目で挨拶をし、カウンターの奥から2番目と3番目の席に座る。
一番奥は公衆電話の前だから、まぁ要するに一番奥の席だ。
バーの空気を感じながら、そこから一番切り離されていられる。
夏はもう終わったというのに、今年の残暑はまだまだきつい。
店内は程良く冷房がきいていて、背中にかいていた汗もすぐに乾く。
『ご注文は?』などという無駄な音は立てない。ただ、黙って正面に立つだけだ。
このマスターは喋るんだろうか…と思ったりもする。
意外と、よくできたアンドロイドなのかもしれない。
メニューを開いてやりながら、そんなことを考える。
彼女の注文はテキーラ・サンライズ。彩りも綺麗だし、女の子にも飲みやすい。
僕も何か気の利いたカクテルを…と思って探したが、上手く決められず、
そうこうしているうちにマスターが、タヒチ・ビールを指し示した。
やはり、読まれていたらしい。静かに頷く。
彼女はお酌をしたがったが、そんなことをさせるのは申\し訳ない、と思った、というのは嘘で、
ビールは自分で入れる方が、美味しいから断った、というのももちろん嘘で、
単純に照れくさかっただけだ。
久し振りに出会ったことに乾杯し、何から話をしようか考える。
自分の話をするのは気が引けたし、相手の話をするには素面過ぎる。
仕方ないから、共通の友人 ── 彼はいつもネタにされる ── を引き合いに出し、
彼の近況や、最近のエピソ\ードを話した。
話す僕の方も、聞く彼女も笑って、空気は少し和み、僕は2口目のビールを口に含んだ。
程良く苦く、そして甘い香りが広がる。
この5年間で、ほんの少しだけ、会話が上手くなったらしい。