まぁ…僕みたいなヤツはいずれ、
『冷たい男』
って糾弾されるんだろうけど、
世界の知らない人のために涙を流す人を見ると、
─ 例えば内戦で増える孤児、とか、
目の前で子供を殺された母親とか、
もちろん、その殺された子供とか、─
つくづく、
日本人は幸せだな、
と思ってしまうわけです。
日常、自分に不幸が降ってきて、
パニックになってるとき、
それでもなお、人のことを気に掛けている…
という人はあんまりいないでしょう?
心配であっても、
多くの場合は自分を見捨ててるか、
体を貸してるか、どちらかではと。
つまり、
人のことで涙できるのは、
それだけ自分に余裕があるって
事じゃないかと。
自分が内戦に巻き込まれ、
母親を失って、
涙をする、
隣に住む友人が母親を失って、一緒に泣く、
それらは、余裕から生まれてくるものではなく、
まさしく自分が当事者だから、
何も不自然じゃないと思う。
でも、
冷めていると言われればそうなのだろうけど、
『誰かが傷つきました。悲しいね』
と言って泣いている、
または、『戦争を止めよう』
と無責任に発言している、
そういう人を見ると、
ただただ、ひたすら、
脱力してしまう。
戦争を仕掛ける人々と、
戦争を止めろ、と言う人々は、
お互いに相手のことを見ていない、
という点で同じである。
だったら、
僕たちに何ができるのか。
僕だって戦争はしたくない。
人が殺されてるのを見るのは嫌だ。
だけど、
正直な話、
僕たちには何もできそうにない。
小さな声を集めて大きくするくらいしかできない。
1人では何もできない。
できなくて悔しい、
というのは思い上がりであって、
そんなことを言えるのは、
和平交渉に失敗した国連特使とか、
不戦を訴えて投獄された外務大臣とか、
そういう人だ。
僕らは、元々、1人では、何もできない。
逆に1人で何かできてしまっては…
システム上問題がある。
戦争を止めよう、
と訴えることは何かを生むのだろうか。
僕はいつもストビで疑問に思うのだけど、
例えばベトナム戦争は、
不戦運動が原因で終結したのか?
まさか。
アメリカが負けたからじゃないの?
勝っていれば、
軍だって大統領だって、
戦争を放棄しないだろう。
アメリカ的、つまりは
価値観の押しつけ的、
不戦運動は僕は嫌いだ。
インドとパキスタンにしろ、
カシミール問題という火種があって
核配備をし、
軍備をととのえ、
戦争している。
戦争を止めたところで、
解決しない。
怒りや不快感は取り除かれない。
それに、アメリカのように、
自国の利益を無視しているかのような
そんな交渉役は嫌いだ。
ロシアのような
したたかさを滲ませる方が、
なんだか信頼できる。
油断はできないが。
結局の所、
僕は、なにもわかっていない、ということだ。
難民の悲しさも、
戦争の悲惨さも、
肉親を奪われる痛みも、
だが、
日本人のどれだけが知っているのだろう。
そんな国で、
不戦運動や、
そんなのが起こるなんて、
ちゃんちゃらおかしいよ。
笑わせるね。
…やっぱりアメリカ批判になってしまった。
アメリカという国が嫌いなだけであって、
アメリカの文化は多くの場合好きなんだけど…
!!
アメリカから見た、日本と日本人も
同じなのかもしれないな。