自分が書いたしょーーもない、くそみたいな文章を読んでてさえわかるけど、
ヒトは、考えて生きてるんだなってこと、俺だって考えてるくらいだから
普段生きてて、悩みなさそうでいいねぇ…とかお気楽に見えるようなヒトでも
そんなことはまったくなくて、
その人なりの感性で
悩んだり、考えごとをしたりして生きてるわけで
そう考えると、世の中にはどれだけの『考え』『意志』が落ちてるんだろう……
と思って、ひどく恐く?いや、不思議な想いに駆られる。
自分がなにかするときに『ヒトのことを考えて行動しなさい』とは言われても、
すべての『意志』までもをパラメータに取り入れてシュミレートするなんてことは出来ないし、
結局は、わからないところは『雰囲気』で埋めて行動する、
その雰囲気をビビッドに感じられるヒトは
人の気持ちが分かる、といわれ、
その雰囲気をつかめないヒトは、空気が読めない、といわれる。
人の気持ちが分かったところで、その人は、他人の考えてることが分かるわけじゃない、
『何となく』
その他人のまとっている空気が見えるだけだ。
そして、その空気がどんな雰囲気のモノなのか、主に経験や想像からつかむのだ。
空気が読めないヒトは、別に自分勝手なわけではなく
むしろ、そういうヒトに限っていい人だったりするのだけど、
まず相手の雰囲気を見ることができない、または見ようとしていない、
そして、見たとしてもそれがなんなのかわからない。
そうなると、いかに普段気配りの心を持っていても、台無しだ。
そういう、
『いいヤツなんだけど…』なやつは世の中にいっぱいいる。増えてる気もする。
逆にそういう『いいヤツなんだけど…』はいきなりナイフを出したりするので、
悪いヤツより全然信用がおけない。
さらに悪いことには、
そういうヤツが固まると、互いにいいヤツになりたがって、自分たちの空気を押しつけ始める。
その段階で俺は逃げるけど。
言ってもわからないヤツとは、コミュニケーションできない。いやできるけど、すごく疲れるから嫌だ。
でも、そんな奴らでも、『考え』は当然あって、考えて行動し、意志を抱えている。
世の中の『意志』が目に見えるモノだったとしたら、
視界を遮るほどのモノになるだろう。
『意志』は何か物質だったりしないのだろうか?
目に見えないだけで。
だとしたら、
悩み事をするヒトのまわりは、なんとなく重そうだ。
それも、なんとなく、わかる。