今日は阪神大震災の起きた日です。
関西に住んでる関係上、そのニュースを目にすることが毎年多くなる時期でもあります。
でも、被害に遭われた方、ここに住んでる方には申し訳ないけど、
6年前のこの日、ここに住んでいなかった僕にとって、
『阪神大震災』は”リアリティ”のないものです。
だから、被害者の痛みや悲しみは、僕には全く分かりません。
冷酷、とかではなくてね。
でも、静岡出身者である僕には、彼らとは違う、複雑な想いがあります。
僕らは、物心着いたときから、いずれ必ず、大地震におそわれる、と言われて育ってきました。
それはつまり、いずれ必ず、神戸の人達のような痛みを受けるということでもあります。
多くの知人が死ぬかも知れない。
それは家族かも知れない。
家が無くなるかも知れない。
火山列島と呼ばれる日本には、地震が来る可能性のないところは無いといわれます。
可能性の高いところだって、多くあります。
でも、ここでは、阪神大震災の何十倍のエネルギーの地震が必ず来る、と、テレビで言われています。
毎月の地震が、夕方のお茶の間で、普通にしかも詳細に解説される。
御前崎沖のプレートが今月何?沈んだか、普通に発表される。
冗談抜きに、地震が起こるたびに、かなり頻繁にあるが、部屋の電器のコードに注目する。
僕の家は普通の地上2階一戸建てですが、鉄筋は地上6階分の深さにまで埋まっているそうです。
神戸の人達のつらさは、とても大きいものでしょう。分かってくれる人も多くいるでしょう。
僕らの怖さ、つらさも分かってくれる人は、どれほどいるだろうか?