男だからかも知れないが、
悲しみの涙を流した経験というと、そう多くあるもんじゃない。
感動に弱く、涙もろいので、自分ではよく涙している気がしていたけど、
いや、悲しみの涙というのはあまり…無かった気がする。
少なくとも、中学校の時、すごく可愛がっていて、なついていた、
家で飼っていたウサギが死んで、大泣きしたとき以来、
悲しみを深く感じることはあっても、泣くことはなかったと思う。
直接の肉親を亡くしてない、というのもあるのかもしれない。
でも例えば、祖母を亡くしたとき、僕は泣くのだろうか?
そこにリアリティがあるだろうか?確信は持てない。
泣いた方がいいんだろう、とは思うけど、
理屈より先に涙が出てくるとは、思えない。
悲しい映画を見て流す涙は、悲しみの涙なのだろうか?
…ん、それは違う、自分にとってリアリティのある悲しさではなくて、
むしろ、感動に近い、だから、悲しみじゃない、
いま、悲しみの涙なんて、想像できない、
それは、感動の欠如なんてモノじゃなくて、
何故だろう、わからない、でも、ふられても、涙は出なかった、
傷付いても出なかった、涙を流す方が楽なのかもしれない、
涙で自分を決めることができない、
ただ、そこに穴が開くだけ、
『人は悲しみが多いほど、人には優しくなれるのだから』
涙は必要なのか?
笑っていても、涙を流していなくても、その人が泣いてないとは限らない、
よね?
…。
まとまらなくなっちゃった。
涙って何だろ?