Length of the time.

京都から鈍行で静岡へと帰る。
乗り継ぎ3回(米原、大垣、豊橋)、5時間?5時間半掛かる。もし、京都から新幹線に乗ってしまえば、そしてそれが『ひかり』なら(静岡に止まる『ひかり』は1時間に1本しかないが)1時間半余りでついてしまう。

その差4時間。

でも、5時間半電車に揺られて静岡に帰って気付いたのだが…
新幹線の方が、時間は長く、そしてイライラした。
鈍行で移動する5時間半はそれほど長くは感じず、もちろん、乗ってる間に日が傾いたから、その時間差は感じたけれど、でも、実際には、それほどイライラもしなかったし、苦痛でもなかった。何故なんだろう?

それを言うなら、自転車で静岡に帰ったときは2日、しかも、両日ともほぼ一日中自転車をこいで(愚かにも、その時の僕には『休憩』という概念は飯どきを除いてはなかった。信じられないことだが)、非常に苦労して帰ったが、それほど長い時間には感じなかった。2日目はほとんど死にそうだったが、実家が近づき、見慣れた風景が目に飛び込んで来るに連れ、この旅行が終わってしまう悲しさ、寂しさが、心にわき上がってきた…。

いや、少し極端な例を出しすぎた、いま言ってるのはそんな感動的な事じゃないや、もっと、普通で単純なこと。

きっと、今年も、鈍行で帰るだろうと思う。新幹線のように取り敢えず乗り込んでしまえば後は着くだけ…というわけじゃないから、荷物もできるだけコンパクトにしなければならないし、それなりに退屈しのぎも持っていかなければならない。でも、そんなことは、全然面倒じゃないし、苦痛じゃない。それよりも、新幹線で車輌に表示される『静岡まで後5分』の方が、よっぽど苦痛だ。静岡に向かうときの、安倍川駅、などは、むしろ、心地よい、帰ってきた、という気がする。もちろん、新幹線の方にそういう気持ちがないわけじゃないんだけど…。

自分の中で、この感じ方の違いについては、安易な、結論を既に出してしまっている。でも、それは、言ってみれば、『そうかも知れない』ということであって、というより、僕が思っていることと比べて、どうでもいいこと、であることは確かだ。僕が言いたいのは…そう、スピードが全てじゃないってことかな?(とか言っててもF1はマニアックなほど好きなくせに)

鈍行に乗ってて思うこと。
地域ごとに、その地域の『生活』が、乗ってくる。
中学生だったり、おばさんだったり、おじいさんだったり。
鉄道には全然詳しくないけど、
そんな感じが、好き。


(2000.12.24)