Stare.

見つめること。見ること。言葉にすること。


相手の目をじっと見つめることが苦手だ。
目を見ると、相手の思いが心の中に、堰を切ったように流れ込んできて、
時に恥ずかしいし、時に、苦しい。
何かを考えるときは、何かをじっと見つめながら考えることが多い。
『見つめる』その方が、なにか、考えがうまくまとまる…
決して、頭の中で、論理を組み立てるんじゃなく、
物の『向こう側』を見つめながら、自分のFeelingに合う言葉を探していく、
そしてその言葉から、理由を想像していく。
そして、1つのFeelingについて、周りをぐるぐるぐると歩いて、
なるべく多くの視点から見つめていき、そして言葉にしていく。

だから、僕の言いたいことを相手に伝えるには、
それと同じ事 ── 周りをぐるぐると周りながら、多くの言葉にして、
それを全て言葉で伝えて、また相手にぐるぐるぐると歩いてもらって、
言葉を想いにしていってもらう ── をしなくちゃならない。

360度を撮影した映像を見たことがあるだろう?

相手の目を見つめるのが苦手だ ──
相手の目を見つめるときには、相手も僕の目を見つめているだろう。
そして、
僕の想いが、僕の意志に関わらず、相手の心に流れ込んでいるかも知れない。
まだ、まとめることができていない想いが…。
誤解されたくない、僕の想いを、正しく受け止めて欲しい、だから、、
少し待ってくれないか?

相手に『材料』を与えないで話をすることは、
相手の主観や想像に全てを任せることだ。
時に、言葉でどうしても伝えられない部分を相手の『感性』が補い、
拙い言葉で全てを伝えようとするよりも、
もっと正確に想いが伝わることがある。
でも、想像力は、あらゆる事を補うことができ、
どんな物でも作ることができ、真実に近づくような気がするけど、
想像が多くなりすぎて、正確にはならない…

相手の目を見つめることが、、、苦手だ。
見つめることは見つめられることだ。
そしてずっと、忘れない、
じっと見つめられた目を、その時の想いを、流れ込んできた感情を、
その、空気の冷たさを、悲しいほど綺麗な、夕暮れを。


(2000.11.20)