投票率を上げるためにすることは「投票へ行こう」という呼びかけだろうか

もちろん呼びかけをすることで次の選挙の投票率は上がるかも知れない。すくなくとも呼びかけないよりは上がるだろう。だから呼びかけが無駄という意味ではない。可能性がある以上やってみるのは良いと思う。やってみるべきだとも思う。

ただ、ずっとどこか引っかかっていることがあって、それをどうしても参議院選挙公示前にブログ記事として書き出したかったのだけど、言いたいことをクリアに取り出せなくて結局ボツになってしまっていた。それをちょっと何とかして書き出してみたいと思う。


僕の中に引っかかっていることのポイントをざっくり書くと、

投票を行かない人には、「投票が習慣になっていない」ということ以外の理由がたくさんある

ということ。

「単に誰かに背中を押されるのを待って」いて、選挙に行こうという呼びかけを見て「そうだ行ってみよう」となる人、つまり、これと言って理由は無いけれどなんとなく選挙に行くのが面倒だと思っている人ばかりではなく、ある程度消極的な理由を持って投票に行かない人というのがたくさんいて、それは高齢者を除く全世代に渡って存在していて、今までと全く違ったレベルまで投票率を上げようと思ったら20代にばかり呼びかけてもダメで、結局のところその「消極的な理由」とは何かを考えるべきなんだよなあということ。


「消極的な理由」というのは何かというと、要するに、

  • 自分以外の人が選択した政府に対して、それほど不満を持っていない人たち
  • 選挙結果について良くは無いけどだからといって他の候補ならベターだったとも思わない人たち

ということで、よく言われる、

  • どうせ自分が投票してもたかが1票では何も変わらない

と思っている人たちの理由とは根本的に異なる。

別に何かが変わって欲しいとは思っていない。興味そのものがなくて、自分以外の人たちが選んだ結果で上手く行くし自分は別にいいんじゃないかという感じ。民主党による政権交代や東日本大震災による市民運動の勃興などを経て、政治に興味を向けさせようとする声はだいぶ大きくなっているけれど、それでも動かない人たちにはそもそもそういう「政治に参加しよう」という声を受容する受容体が備わってないとしか思えない。そうでなければ、政権が変わる重要な選挙であった前回の衆議院選挙で史上最低の投票率(59.32%)を記録したりしない。選挙前、選挙中にはこれまでにないような熱心な呼びかけがあったように記憶しているけれど、それでもおよそ41%の人は投票しなかった。


その41%に投票に行ってもらうために必要なことは何だろうか。「投票に行こう」というスローガンだろうか。投票に行くことの大事さを訴えることだろうか。多分、違うんじゃないかと思う。そういうスローガンを掲げている人たちと同じように、真面目に政治を考えている人たちばかりではないから。東日本大震災から2年と4ヶ月が経って、その間に衆議院選挙と多くの地方選挙を経験してきたけれど、それでも結局投票率は上がらない。

どうしたらいいんだろうか。今日も「投票に行こう」という呼びかけは続く。しかし投票に行かない人の心には上手く刺さらない。投票に行かない人の心に刺さるためには何をどう訴えれば良いのだろうか。「投票に行こう」と呼びかける人にはそういうビジョンがあるだろうか。なんだかそれがとても気になっているのです。呼びかけても投票率は上がらなかった。僕らは手段を、間違っているんじゃないか?