「誰が何を言ったか」が大事

いきいきペール

なんとなく見掛けたフレーズに絡んでいくシリーズ。
特定の相手がいるわけじゃありませんけども。

ネットは公平な場所であり、実名であろうと匿名であろうとHNであろうと同様に1つのユーザーであり、そういう場所では言葉の本質的な力が強調される。すなわち「誰が言ったかでは無くて何を言ったか」が重要なのであり、発言者の氏素性によってフィルターを掛けるのではなくその発言内容に真摯に向き合うべきである……

馬鹿言えと思います。
もっというと、馬鹿も休み休み言えと。



僕は別に実名主義者ではないし匿名賛美でもないのでそうした議論はしたくないのですけど、2人の人間が同じ内容の発言をした場合に重視されるのはそれがどんな人間がした発言かに決まってるじゃないですかね。電車でたまたま隣に座ったおっちゃんに「ああ、そんなしこりな、1週間経ったらぱーっと治ってしまうで」と言われるのと、大手病院の内科の先生に「まあ今は少ししこりが残ってますが、1週間経てば無くなっていますよ」と言われるのは違うに決まってます。僕らが社会的な人間である以上、その発言がどんな社会的な意味を持つ人によってなされたか、という評価からは逃げられません。学生がどんな立派なことを言っても、一部の特殊な志が高い学生を除けば、社会も知らんと勝手言うとる以上ではないわけで、そんな学生が社会で発言権を得るためにはそれだけ社会で貢献するか暴力を行使するしかないわけです。誰が言ったかからは逃げられない。


一方で「あの人が言っているから必ず正しい」というのもまた問題があります。震災以降多くの人が微妙な発言をしたり微妙なものに手を出したりしてがっかりしたもんですが、そういう人たちに共通しているのは確からしい資料にあたるのではなく、たった1人のツイート、たった1人の著作、たった1ワードの検索結果をよりどころに自身の論を構成しているんですよね。某上杉さんのとか某武田さんのとか。乳酸菌が放射性物質を除去するとか言ってるおっさんのとか。どう見ても世迷い言なのに、誰が言ったかだけを頼りに自分が信じたいものを信じようとしているひと。もうね、疑似科学と新興宗教と反政府組織の草刈り場です。佐賀県武雄市の現状とか腹抱えて笑ったわ。


なのでね、大事なのは「言った人間だけを重視する」というなんだかやるせない階級主義っぽい感じへのカウンターとして「もっと発言の主旨を見ていこうぜ」という方に舵を切ってエンジンをふかしつつ、そうは言っても誰が言っても同じじゃあそれはそれで真偽の区別は付かないんだぜというところで、然るべきタイミングで然るべき人間が発言すべき、そういう発言を検証して社会にとっての肥やしとすべき、実績を重ねて自らの発言を聞いてもらえる人間になっていくべき、という感じのポジションでみんないればもっと良い感じになるんじゃないかと思うんですけど、まあでもそのポジションは絶えず調整が必要な不安定なポジションだからなあ。人々が望むのは勧善懲悪なはっきりしたポジションですからねえ。なかなか。

ただまあなんつうか、「みんな俺の意見を聞いてくれない!」みたいなのは10代くらいで終わらせておくべきだと思いますよ。聞いてもらえないのには意味があるし、そもそも誰の意見も聞いてたら処理しきれないじゃないですか。ねえ。