【読書感想文】 村上 春樹 / 走ることについて語るときに僕の語ること



走る期間と全く走らない期間を繰り返していたのから、なるべく毎日走るようにしようと決めて走り始めてから2年くらい。その理由はもちろん体重のコントロールだけど、きっかけはiPhoneを手にしてRunKeeperを使えるようになったからなので、何がきっかけになるか分かんないもんです。途中、花粉症で中断したりもしたけど、今まで続いているんだからなぁ。今年は花粉症の3月4月も頑張って3日に1回くらいは走りましたしね。



僕が走ってることに気がついた友達から「どうして走ってるの?」と聞かれる度に何か答えようとして、その答えは大体が「食べるの好きだから走ってないと太っちゃうんだよ」か「走ってストレスをリセットしないと1日を切り替えられないんだよ」かになるんだけど、本当の本当は自分でもよく分からないのですね。いや、間違ってないんだけどさ。合ってるんだけどさ。それだけのために、毎日仕事から帰ってきてご飯食べたあとの夜23時とかに1時間走ってるの?と考えるとなんだか足りないような。なんなんでしょう。

「走っているときに何考えてるの?」と言うのもなかなか難しい質問で、率直に言ってありとあらゆることを考えてます。仕事のこともプライベートのこともデザインのアイディアもコーディングの思いつきもむかつく友達のことも次のDJのこともいろんなことを。走ってる間の1時間て確かに手足は凄く忙しく動いてるけど、人間としてはとっても暇なのですよね。全力疾走したらば何も考える余裕がなくなるけど、1人で黙々と走ってるときはそこまで追い込まないようにしてるから、考え事をするくらいの余裕はある。で、色んなことを考えて音楽聴いて走って、帰ってきて風呂入ると全部さっぱり忘れてる。汗と一緒に流れて行っちゃうんですかねぇ。分かんないですけど。メモを取ろうと考えたこともあったけど、まぁ無理だよね。



あ、そうそう、この間走っているときに思いついたことを今思い出したんだけど、走るのってなんだか釣りによく似てるんですよ。周りから見てると1つのことを延々としてるというか、何も考えていなさそうと言うか、耐えてるというか、気が長そうというかそういう風に見えるんだけど、実際にやっている方はずーっと色んなことを考えてるという。釣りだったらポイント、仕掛け、餌、時間、棚、どれかずれてないか気になるし、走ることであれば、ペース、疲労、筋肉の感触、呼吸、どれかが調子から外れていないか気になるし、なんだかんだ言ってそういうことをずっと忙しく気にしてるという。長い距離を走りながら、あーこのくらいのペースで右のふくらはぎ張ってくるかーとか考えてますから。右の膝に古傷あるってのもあるけれども。

毎日走っていて、それから自分のこれまでのスポーツに対する取り組みを振り返って思うのは、僕って1人で黙々とやるっていうのが好きなんだよね。自転車しかり。馬術しかり。競技では相手がいることもあるけれど、基本的には自分のからだと対話しながら自分が持っている能力を出来るだけ目一杯発揮する事が大事で、普段のトレーニングでもやっぱり自分の体と対話しながら少しずつ積んでいくという。元来全然気が長い方では内のだけど、そうやって少しずつ積んでいくのだけは好き。仮にすぐに結果が出なくてもあんまりへこたれずに、じりじりと結果が出るのを待てるタイプ。人生の他のこともそうだったらいいのに、そうやって結果を待てるのは走ってるときだけなのよね。不思議。



自分が初めて「競技」の形で走ったときのことだけ ───



─── と言った風に、走ることについて語ることが止まらなくなってしまう一冊。

走りのための教本ではないし、村上春樹のエッセイと言うだけでもない。走りと村上春樹、両方に興味がある人が、多分一番楽しめる。村上さんに限らず、走ることが生活の一部になってる人はたくさんいると思うのですけど、そんな色んな人が共通点を見出し、「村上春樹スタイル」をうんうんと聞き、ところで「僕のスタイル」はこんな感じなんですよ、そういう話を人にしたくなるようなそんな本。走ることが身近にある人は是非一読を。この感想をきっと解って貰えると思います。



─── で、話戻すけど、1回「旅ラン」したいと思ってるんだよね…ギリギリの荷物にランニングシューズを入れる事に躊躇して、まだ実現出来ていないけどやっぱ最初に荷物に入れちゃうべきかなと ───