魔法少女まどか☆マギカ完結



最後に残されていたニコニコ動画での公開も始まったし、もう感想書いても良いかな。





日にちが経って他の人の色んな感想を読んで、色んな見方があってみんな凄いなーと。
そう言う意味でいうと、視聴直後に書いた自分の感想がえらいあほくさいんだけども、
まぁでも一応、引っ張り出してきてみる。


これ書いてるの、21日の28時なので既に誰かもう書いてるかも知れないけど。


見終わって少し考えてみて思うことは、これに近いのは…火の鳥の未来編。
全てが変わり全てが記憶の彼方に過ぎ去っても、
そこの差異には少しでも前へ進んだことがあり、その中に救いに近いものがあると。

…いや正直に言いますと、

良くわかんないんですけどねw


でもルールが悪いならルールを変えればいいじゃない!というのは理解できる。
その結果、その報いを受けるというのもまぁ解る気がするんだけども、
なんだろう時系列的な整合性とかはまぁ良いかというか、
今ここまで進んじゃった歴史はとりあえずその後へ進めますよ的な
その解釈でいいのかどうなのかというのはもうね、全然解らんw
違うんじゃねーの、過去の魔女も消したら歴史変わるだろとかww


ただそれと同時にもう一つ言いたいことは、
これでよかったかもなーという。
確かにずっとまどかは主人公ではないと言われていて、実際そうじゃなかったわけで、
装置としてはメインだけど主人公はほむほむだったわけで、
理不尽な世界から、ひとつ理不尽でない世界に進んだ、という意味で、
希望のある内容だったんじゃないかと。


これが視聴直後に書いた文章。



で、昨日の夜もう一度ニコニコ動画で見返してたんだけど、
「希望のある内容」であったかはよくわかんないな…

確かに「魔法少女が魔女と化して呪いをまき散らす」というシステムは壊せたけど、
アニメに出てきたキャラクターそれぞれが救われたわけではないし、
「魔法少女が必要」というシステムは変わらないし、
人々によって「負のエネルギー」が発散されるそれが我々の住む世界、
と言う現実は変えようがない、そういうある意味絶望のようなものは残るわけで。

でもそれは「火の鳥」や「ブッダ」の中で語られていたことと言うか。
例えそうだとしても僕らは生きて行かなくてはいけないというのが「火の鳥」だし、
その「恐れ」を超越するにはどう生きていくべきなのかが「ブッダ」だし、
Cパートの最後の部分はそう言う暗示なんだろうな、と。
ほむらの最期があれだとして、しかしそれは絶望ではない、
なぜならそれは最後に救いがあるから……ということなのかな。



一言「面白かった」と言うだけでは満足できない、
凄く見応えのあるアニメでした。

いやーホントにありがとう。



蛇足その1:「魔法少女」じゃなかったら

なんだろう、感想を書いてて思うんだけど、

やっぱり、「魔法少女」っていう表現手法が間違ってるよなwww

「いやこれだから良いんだ」と見た人間には言えるけど、
周りからはどっからどう見ても萌えアニメや子供向けアニメで
wktkしてるヤツにしか見えないしw
ぶっちゃけ理解されないだろうなぁ。



蛇足その2:熱心なアニメファンほど戸惑っていたような

感想を見ていて思ったのは、
重度の「アニメファン」の人の方が戸惑ってる人の割合が多かったかも。
特にベテラン勢。

ライトなアニメファンが喜べば喜ぶほど一歩引いちゃうだろうし、
いやマニアってのはそう言うものかも知れないけど、
ただ「好きじゃない」とか「つまらない」とかいうんじゃなく、
どこか混乱してる感じが多かったのが凄く印象的だった。



蛇足その3:2ちゃんねるあたりの感想はやらおん!見ると良いと思うよ

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蛇足その4:BGM的な後遺症

最近ずっと、クロネコラウンジ「東方地霊殿 ハウスアレンジ」を聞きながら仕事してるんだけど、
シリアスな音楽が全部まどか☆マギカの音楽に聞こえちゃって困ってる…

あれ?これ、さやかが魔女化したときの→いや、さとりの音楽みたいな。