「メディア」や「評論家」の手のひら返しについて

サッカーW杯で日本代表が予選を突破。それを決めた第3戦デンマーク戦に対するメディア、評論家の評価が非常に高く、それについて「散々叩いておきながら手のひら返しやがって」とコメントしている人を非常にたくさん見かけるのだけど、もし本気で言っているのだとしたらそのコメントをしている人は、悪いことを悪いと認められず、良いことを良いと認められない残念な人なので注意した方が良い。


僕だってカチンと来ることは多々あるけれど、メディアや評論家というのはデフォルトで手のひら返しであって、むしろそれを止めてしまったら存在意義がない。彼らは予言者ではないし、大事なのは手のひらを返すかどうかではなくて、その瞬間の評論が当を得ているかどうかだ。それを分離して論じられないから、いつまでも日本は本気で議論できないのじゃないだろうか。自説の維持に拘泥するあまり、対象の変化を認めずいつまでも手のひらを返せないことに何の意味がある?

それで金もらえるなんて楽で良いな、と言ってた人もいたけど、現状について論じて、未来が自説と矛盾したら手のひらを返して、お前この間こんなん言ってたじゃねえかよ、と批判されるところまでが仕事。あんまり繰り返すと仕事が無くなる。僕にはそんな仕事できないけどなー




日本代表の件については、僕も様々な人が色んなことを書いているのを読んできた。

一番酷い人は、結果の数字だけを見て分析を行わず、取材を行わず、代替案を出さず、批判のための批判だけを行っていた。そういう評論をしていた「評論家」はもう要らないので退場して良い。でもそれは手のひらを返したからではなく、その評論自体が無意味だからだ。「こういう意図でこのような戦術を採ったようだが、それはこのような点で間違いであったと考える。なぜこうではなかったのか…」そういう主張でなければ、俺らと何も変わらない。
(あ、「未来のために負けろ」とか書いちゃう人も要らない。今勝つために何が必要か、それを放棄して良いわけないだろ。まぁもともと好きじゃないってのはあるんだけど)



でも事前に代表に対してネガティブな評論をしていた人が全員そうというわけじゃない。その時点で監督が志向していたこと、選手のそれに対する意識、実際の動き、結果、そうしたことをまとめて伝えている人、戦術の良し悪しではなく選手の声を元にしたドキュメントを伝えてくれた人、なぜ上手く行かないかを分析した上で戦術の提案を行う人、色んな人がいた。

それらは全てその時点での日本代表に対するリアクションであり、監督の志向があちこち揺れていたのは事実なのだから、未来の側から見て「それは間違っていた」「そんなことをしなくても結果は残せた」「監督を辞めさせなくて良かった」というのには何の意味もない。それはそうかもしれないけども、そうではないかも知れないわけだろ?予選突破したってだけで2年間の全てをOKとするんだとしたら、その人は筋が悪すぎると思う。それぞれの評論はその時点では正しかったが、未来がそれを上回った、ただそれだけの話。



もし、評論家が手のひらを返すことを止めたらどうなるだろうか。未来を予言することを求められ、それを外すことを認められなかったらどうなるだろう。多分、良いことを良いと言えず、悪いことを悪いと言えない状況が生まれるんじゃないか。

先も書いたとおり、メディアや評論家が手のひらを返すのはデフォルトだよ。それは、その時その瞬間について評論しているから。未来が評論と矛盾した場合、自説を撤回して新たな状況に合わせて評論を組み直すのは、評論家としてごく自然なことじゃないのかな。大事なのは、組み直された後の評論が当を得ているかどうかであり、組み直されたことではない。予想を遥かに上回る結果が出て痛快この上ないけれども、それと過去の批判の妥当性とは全く別の問題であり、反省材料をすべて水に流して良いわけじゃない。同じ手のひらを返すにしてもきちんとそれを指摘できている人と出来ていない人がいる。後者は気持ち悪い。

そういうことを、内容と無関係に「手のひら返し」とあざける人間は少々ナイーブすぎる。どうかと思う。