僕があんまりTwitterに乗り気じゃないわけ

最近ようやくというかなんというか、周りの「普通の人たち」の間でも「Twitterを始めたよ」という声が聞かれるようになってきて、ああ日本でもTwitterがそういう局面に入ったんだなぁと強く実感しているのだけど、僕個人としては実はTwitterをヘヴィに利用していくことに対してあんまり乗り気じゃなかったりします。


理由の1つは、なんだかんだ言って全ての情報をこのブログに集約してしまいたいという欲求があること。別にそんなんせんでもいいやんと思いはするんですけど、まぁ思っちゃうので仕方がないです。だから極力自分の書くものが拡散しないようにしたいわけでして、Twitterであんまりだらだら書くのは違うかなぁと。

もちろんTwitterの発言内容を集約して、はてなブックマークのまとめみたいにして表示することは十分可能ですが…なんかね、自分の発言だけを抜き出して表示するってのもなんだか違うような気がして。つぶやきといっても自分自身だけで完結してるって言う話でもないし。関連する発言を拾っていくのは面倒だし。てか無理だし。


もう1つの理由はTwitterの根本的な話なんだけど、だんだん誰に対して書いてるのかよくわからなくなってくるのね。設計理念としてこれは「つぶやき」なんだから、スルーされても全然気にする必要はなくて、ただそのときに何をしていて何を思っているかを書いていけば良いんだよってのはわかってるんだけど、それなら別に書いて公開する必要ないやとか思ってしまうタチなのですね。公開しない、「プライベート・メモ」で良いんじゃないの?とか。

結局、「これはつぶやき」ってのは単純にスルーされることに対する前払いの言い訳であって、利用してる人はみなライブでのコミュニケーションを望んでいるような気が。とにかくフォローをたくさん増やそうという啓蒙活動にしたって、人の話題を捉える機会を増やして自分の発言がスルーされる機会を減らすってことなんだよねぇ。それはコミュニケーションの形態として面白いと思うし、良いことでもあると思うんだけど、残念なことに僕の性にはあってないんだよなぁ。ああいや、コミュニケーションを取りたくないって言う話じゃなくて結構便利に思うこともあるんで良いんだけど、それベースで使い続けるのはしんどいかなぁっていう。



僕は使い始めてからずっとそんなことを思ってて、今は簡単なライフログ(出社と帰宅くらい)とニコニコ動画の視聴履歴記録用くらいの意味でしか使っていないけど、だからといって止めようとも思っていないところを見るとコミュニケーションは気が進まないにしても、延々と流れていくタイムラインが結構気に入ってるのかも知れないと思う。で、「普通の人たち」は今後どういう風に感じていくんだろうか?遅かれ早かれ「普通の人たち」も「Twitter疲れ」になっていくだろうけど、その後どれくらいの割合の人がサービスに残るかはわからないよね。案外、多くの人は残るかも知れないし。

ちょっと興味深い。