自分の発した記事はきちんとケアしよう

この記事を読んで。

多趣閑言:新聞とネット /静岡 – 毎日jp(毎日新聞)
県内の事件で警察の発表により容疑者とされたが、その後不起訴となった本人から支局に電話をいただいた。「不起訴になったのに今もネットに容疑者で名前が出ている。就職もできない」。新聞記事は不起訴を報じているが、逮捕時のニュースがネットに残り、就職活動にも支障が出ているという。

(中略)

「容疑者」の名前はネットから消えるはずだがそうはならない。記事を無断引用し、ネットにばらまく業者や個人が存在するからで、今回もそうだ。

(中略)

これまでのネット業者との交渉なども踏まえた本人の感想である。「ネットを使いこなす世代なら信ぴょう性がないのはよく分かっている」と言い、新聞の信頼性を再認識したという。「ネットは記事の羅列でニュース価値が分からない。新聞は記事を紙面のどこに配するかや大きさで示してくれる」とも話していた。あくまでネットとの比較だが、つらい体験から新聞の存在意義を感じてくれたことがうれしかった。【静岡支局長・照山哲史】


まぁ、まず言えることは、

おまえが言うなwwwwww

なわけだけど、それはわざわざ言うまでもないんで放っておくとして。


ネットで情報がケアされないという指摘に関しては、素直に反省すべきかなと思う。
事実として、容疑者として報道された記事を転載した場合、
それを追って後で更新する人は少ないように思う。
あ、統計的に調べたことはないんでもしかしたらみんなはやってるかもしれないけど、
僕は見かけたことがないし、少なくとも僕はしないだろうと思う。書きっぱなし。面倒だし。

そうしたブロガーの「怠慢」によって、記事に記載されているような
被害が出ていることも、おそらく事実なんでしょう。きっと。
ブロガーはその事実に対して、「ネットは情報が間違っているところ」と言い訳して来たけど、
でもマスメディアを批判するのと同じ方向性で考えれば…放置しているブロガーも悪いよね。
そいつは無責任だし(責任を全部“ネットのせい”で丸投げ)、やっぱり怠慢だと思う。

そういうわけなので、照山さんが言われるそういう点については、
ブロガーの端くれとして素直に反省したい。



んで、だ。

もちろんそんな殊勝なことだけを書こうと思ってエントリ作ってるわけではなくて、
この記事の〆が、『だからやっぱり新聞!!!』とか言ってるところが最高に笑えるっていう話。


結局さー…自己満足でしかないんだよね。
紙面は限られてるんだから、容疑者が逮捕されて不起訴になった記事なんて、
元の記事に比べたらちっちゃいもんでしかないんだよ。だいたいね。
それでも新聞社からしたら『掲載しました!』というかもしれんが…それは自己満足であって、
読者の印象をどの程度上書きできてるかまではわからない。

それに、そんなの毎日細かく新聞を読んでいて、
この事件について流れを追ってる人しか気づかないじゃんね?
だいたいの人は逮捕の記事を読んで、『ふーん捕まったんだー』で終わりじゃないですかね。
訂正記事ってどれくらいの効果があるもんなの?

そういう、メディアによる人権侵害の問題ってのは以前からずっと問題提起されてきていて、
事件をセンセーショナルに伝えたいマスメディアの本能からして解決は難しい…というか、
今だって全然解決できてない問題なんじゃないのかな。

それを今さらネットに責任を持っていって、だから新聞は素晴らしいとかどんな斜め上なのかと。
確かにネットでは情報のケアをしていないことが多く、それについては問題があると思うよ、
でもさ、成果を上げているか否かで言えば、大して変わらんと思うのよね。
実を結ばない取り組みだけどお前らよりやってるもんね、って言いたいなら別に良いけど。



要は第一報の報じ方に問題があるんだよね。あまりに安易に、容疑者を悪者にしすぎって言うか。
これを『ネットは悪くない』という文脈で言うと我田引水だから、そうではなしに、
ネットもマスメディアも含めたメディア全体の問題として考えて言いたいのだけど。

マスメディアはまず、容疑者の段階では「本能」を自重する。
容疑者の段階では本名を公開しない、という判断もありではないかと思う。
(ってまぁそれだと、有罪が裁判で確定するまで全部匿名になっちゃうけど)

そして、容疑者が犯人じゃなかった場合には、容疑者と報じた記事を修正する。
そこは「削除」じゃないんだよ。否定をしないことは、相手(読者)に判断を任せるってことなんで。
任せてはいけないことは、きっちり否定しておかないと。

1つのURLに1つの情報と言うことは、きっちり認識しておくべき。
毎日定性的に新聞を購読している人間とは違うんだから。


ネットの方は、自分の記事に責任を持つべき。
マスメディアが自重してもブログでコメントを一つ二つ付け足すこともあり得るわけだし、
自分が書いた記事に事実に反する記述があったとしたら、
その元ネタが新聞社であっても、掲載の責任は自分にあると考えるべき。
そこで、『いや新聞社が間違ってたんだろ』とか言っちゃうのはちょっと違う。
それやっちゃったらマスゴミと同じなんで、ダメ、絶対。

その上で、マスメディアと歩調を合わせて、事件の報道について責任を持つべきだよね。
新聞社(特に毎日新聞社)はネットが大嫌いなようで、どうしても敵対させたいみたいだけど、
社会に対する立場としては大してかわらんのよね。
新聞社はそこまで偉くはないし、ネットはそこまでくだらなくもない。

敵対とかではなくて、社会に関する情報を取り扱う大物プレイヤーとして、
ネット上での情報のやりとりにおいても影響力を発揮してもらいたいと思うんだけど、
まぁ…今の新聞社じゃちょっと無理かなぁ。
各情報をもっと広く有効にケアできたら、もっと影響力あるはずなのになー

そもそも、そういう部分をニュースサイトに丸投げしてるっていうところもちょっと問題かもね。
新聞社の公式サイトの記事ページとYahoo!Japanの記事ページの情報の量を見比べればわかるけど。
Yahoo!Japanに出来て新聞社に出来ないわけないと思うんだがなぁ…
僕が新聞社の社長だったら、そのシステム作るけどな。もったいないだろ、JK。
こんだけの情報握ってて、ユーザビリティでブログに負けるわけはないって。

そういう自分の問題を、何か他のもののせいにして安心できちゃうところに、
新聞社の限界があるなー

そんなだから、日本に高級紙はないとか言われちゃうんだと思うけどねぇ。
見事に大衆紙しかないもんなー
(もしかすると日経は経済面においては高級紙なのかもしれんけどね)